ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。
手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。
河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】
3月5日 手術後2日目
朝食です。
(この時はまだ記録として食事の写真を撮ることを考えていなかった)
この日は朝食後、尿道に入ったままの管を抜いた。
ナースが「息を吐いてぇー」「いち、に~の、さん」と言う合図とともにスッと抜かれた。緊張したが痛みはなかった。「排尿するときに少し痛かったり、血が出る場合があります。まだ完全に歩けないのでトイレに行くときはナースコールしてください」と言われた。しばらくしてナースコールをして一緒にトイレに行く。手術後はじめての排尿。少し緊張する。痛みは無い。血も出なかった。ただ排尿の最後にプニョプニョと空気が出た。初めての体験に驚きあわてた。だが何も問題なかった。再度ナースコールしてベットに連れて行ってもらう。ここは病室にトイレがあるので歩く距離が少なくよかった。
昼食です。
午後、熱い蒸しタオルで身体を拭いてもらった。起き上がった時ふらつく。この感触は乗り物酔いに似ていた。手術後、初めて着替。心身ともにリフレッシュした気分であった。その後、MRI撮影のため、車椅子に乗って連れて行かれた。ふらつく。MRI室では6人掛かりで撮影台に乗せられた。
縫合した部分に入れてある管を抜くため処置室に歩いていった。途中、歩いている姿を見た家族が驚いていた。点滴が下がっている支柱につかまり歩いた。ふらつくが一人で歩けた。処置室で担当医が待っていて縫合部分を触られたが感覚は麻痺したままで、ギブスの上から触られている感覚であった。自分の頭と言う感覚が無い。おもむろに管を抜く処置をはじめた。「縫合しますからチクリとしますね」の声に身構えた。しかし何の感覚も伝わってこなかった。担当医が「写真とらなくていいですか」と声を掛けてくれた。デジカメを持っていなかったことと、生々しい傷を見る気なれず「次回で」と言うのがやっとだった。
夕方には一人でトイレにふらつかずに行けるようになった。順調に回復している。ものはまだ二重に見えているがさほど問題は無い。
夕食です。
夜、病室内にイビキの大轟音が鳴り響いた。クスリの影響らしい。「グゥオゥーー」「ガガガガァーー」「ガオァー、ゴーーーー」眠れない。闇夜の中、耳栓を探したが見つからず、今夜は睡眠モニタリングかとあきらめてイビキを聴いていた。大音響に耐えられず再度耳栓を探す。見つけ出して耳に押し込む。このとき気がついた。手術側の右耳が聞こえない。正常な左耳だけに耳栓を入れた。これはかなり便利だ。耳栓1個だけで事足りると思いニヤリと笑った。そして深い眠りについた。