ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過したことに感無量です。いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。

ちょうど2年が経過したので、時系列に合わせて手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

3月1日

2010年8月末に発見された四代目の「聴神経腫瘍摘出」手術が、3月3日耳の日で大安の朝8時から行われることが決定しました。そのため今日3月1日、東京は中野にある東京警察病院に来ています。今日から約一ヶ月間の入院生活が始まります。中野での住まいは28年ぶりの里帰りみたいなもので、懐かしい気持ちと不安が入り混じった変な気持ちです。

 経過観察、放射線治療(ガンマナイフ・サイバーナイフ)、摘出外科手術の3方法の中から四代目自身が選択した「摘出外科手術」のために3月1日の早朝、自宅を出発した。入院時間は10時30分と言われていたのを1時間遅らしてもらった。初日は何もないようなので早く行っても仕方がないと思ったからである。旅費を少しでもチープにするため「東海JRツアーズ」の【ぷらっとこだま】を利用した。岐阜から中野まで8千円少々である。

 自宅を少しはやめの6時30分に出た。名古屋駅7時54分発のこだまに乗車する。同時刻の「のぞみ」に乗車すれば9時40分には東京駅に着き、10時には東京警察病院に着いてしまう。岐阜の自宅からわずか2時間少々で東京中野に着いてしまうわけだ。ちょっと昔で考えればドラえもんの「どこでもドア」のような感じたなと思った。ただこれはもう旅行ではなく、単なる物体移動、さながら人間宅配便のようなもんだとニヤリとした。スピードが速くなり便利になった反面、失うものも大きいように思う。旅、人とのふれあい、流れ行く風景、時間、人情・・・・。昔と今とどちらがよいのかはわからない。もっとも時間をかけて旅行するならば普通列車を選択することもできるわけだ。ただ誰も選択はしないだろう。「時は金なり」そんな文字が頭の中に浮かんだ。

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3月 1, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもの で、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、 ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、 普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますの で、なんら不自由は感じません。

ちょうど2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

 河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】

3月2日 手術前日

今日は午後3時から「聴神経腫瘍」のスペシャリストであり、今回の主治医である河野道宏医師から手術に関する説明が行われる。そのために岐阜から家族が来ることになっていた。どうして河野道宏医師に決めたかについては後ほど落ち着いたころに話そうと思った。午後2時ごろ家族がやってきた。ふと携帯電話に目をやると着信の光があわただしく点滅していた。チェックしてみると家族からのメールが何通か届いていた。1階のコンビニで昼食を食べているらしい。急いで上着を引っ掛けてエレベーターで1階に向かった。すぐに見つけることができた。昼食を食べ終えた家族と一緒に病室に戻っていった。

 病室に戻るとほどなくして担当医がやってきた。
「少し時間が早いのですが、主治医の河野先生に時間ができたので手術前説明を行いますが・・」
「わかりました」

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3月 2, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。

手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】

3月3日 手術当日

 手術当日の朝が明けた。
 朝6時には目が覚めていた。
とうとう、ついに聴神経腫瘍の摘出手術当日の朝を迎えました。

あと1時間30分後に手術が始まります。手術は全身麻酔なので不安よりも興味と好奇心の方が強いのですが、麻酔から目覚めた時の不安が大きいです。顔面麻痺も無く、痛みや吐き気もなく目覚めていればよいのですが。さらには河野先生の技術と全スタッフの技術のすばらしい連係によって、無事に手術が成功することを祈るばかりです。

ちなみに昨晩は、手術前日にも関わらず、河野先生に全幅の信頼をしているので、なんの不安も無く、睡眠薬も必要とせず普通にぐっすりと眠ったのでした。

 病室を出るのは午前8時35分。まだ時間はある。家族がやってきた。こわばった笑顔が印象的だった。時間まで「I podシャッフル」のイヤホンを両耳に押し込み入院前に入れた音楽を聴いた。自分を勇気付けるために選曲したのが「サザンオールスターズ」「吉田拓郎」「ウルフルズ」。サザンの「栞のテーマ」「夏をあきらめて」、吉田拓郎の「人生をまだ語らず」、ウルフルズの「それが答えだ」「笑えれば」「バンザイ~好きでよかった~」「ええねん」を何回も繰り返し聞いた。自分を鼓舞するため、つらい時に鼻歌が歌えるようにとメロディーを再確認するためであった。今から思えば「アリス」の曲も聞けばよかったと思う。病室で家族と案内を待つ間の光景は、映画ロッキーで主人公ロッキーと妻エイドリアン二人がリングに向かう前の控え室にたたずんでいるかのように思えた。情景から色が消え、モノクロ画面であった。

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3月 3, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。

手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】

3月3日 夕刻未明~3月4日

 パソコン画面に映った見積書を見ながら「早く見積書を書かないと、金額は、ええっと・・・」と思っていたら遠くから「すみさん、すみさん」と呼びかける声に気がついた。ふと目を向けると(実際には目を開けると)、誰かの顔が見えた。

「えっ、ここは??、ここはどこ??」
しばらくして
「あっそうか、手術終わったんだ」ということに気がついた。
「お名前は」
「生年月日はいつですか」
「今日は何日ですか」という問いかけがあり、いずれもかすかな声で答えた。

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3月 4, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。

手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】

3月5日 手術後2日目

朝食です。
(この時はまだ記録として食事の写真を撮ることを考えていなかった)

 この日は朝食後、尿道に入ったままの管を抜いた。
 ナースが「息を吐いてぇー」「いち、に~の、さん」と言う合図とともにスッと抜かれた。緊張したが痛みはなかった。「排尿するときに少し痛かったり、血が出る場合があります。まだ完全に歩けないのでトイレに行くときはナースコールしてください」と言われた。しばらくしてナースコールをして一緒にトイレに行く。手術後はじめての排尿。少し緊張する。痛みは無い。血も出なかった。ただ排尿の最後にプニョプニョと空気が出た。初めての体験に驚きあわてた。だが何も問題なかった。再度ナースコールしてベットに連れて行ってもらう。ここは病室にトイレがあるので歩く距離が少なくよかった。

昼食です。

 午後、熱い蒸しタオルで身体を拭いてもらった。起き上がった時ふらつく。この感触は乗り物酔いに似ていた。手術後、初めて着替。心身ともにリフレッシュした気分であった。その後、MRI撮影のため、車椅子に乗って連れて行かれた。ふらつく。MRI室では6人掛かりで撮影台に乗せられた。

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3月 5, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

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