ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。
手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。
河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】
3月10日 手術後7日目
5時30分起床
昨夜は一度もトイレに行かなかったことに気がつく。
回数が減った。
以前のように尿を溜めれるようになった。
朝食後直ぐに担当医が来た。
「今日、洗髪してから半分抜糸しましょう」と言った。
緊張が走った。
洗髪!! ば、ば、抜糸!!!
一時に二つもですか。急ぎすぎでは・・・・。
11時30分、いよいよその時が来た。
抜糸の時間である。
その前に洗髪が行われた。
前回と同様洗髪台の前に座りうつむく。
包帯が外された。
両拳をグッと握り締め、顔をしかめて次なる瞬間を待つ。
シャァーーーーー
心地よい温水が頭にかかる。
シャンプーをつけられ洗髪が始まった。
縫合箇所は特に念入りに洗われた。
「手術のときの消毒液が固まってますからね」
「きれいにとりますね」
「痛かったら言ってください」
「大丈夫ですか」
「はい・・・・・・」
触られている感覚はまったく無かった。
シャァーーーーー
10分程で洗髪は終わり、担当ナースの案内があるまで病室で待機。
今はとても傷口を直接見る気持ちにはなれないが、退院後にきっと見たくなるだろうと思い、抜糸前の傷口を記念撮影した。今こうして退院後に写真を見ても「ゾゾッ」としますね。かなりザックリと三日月形に切ってあります。耳側にガバッと皮膚と筋肉をめくり上げて頭蓋骨を露出させたことがよくわかります。左写真の大きな傷口の上にある小さな傷口は、ここから皮膚下の血液を流しだすための管が出ていた部分です。
(写真はクリックしても大きくならないようにしてあります)
ナースが来るまで緊張の連続。パタパタパタと足音が近づくたびにビクッとする。11時40分、診察室に向かう。診察室にはすでに担当医がいつものように待機していた。おもむろに抜糸が始まった。ハサミで「パチン」「パチン」という乾いた気味悪い音がした。そして糸が抜かれた。痛みは何も感じなかった。「はい、半分抜糸しました」で終了した。その間約2分。一瞬にして緊張が解けた。体から力が抜けるのがわかった。圧迫包帯を巻き直してから病室に戻った。
顔をぎゅっとしかめても普通にできます。
顔面麻痺は出ていないことを確かめると、笑顔になります。
5階西病棟には、このような頭に圧迫包帯を巻いた入院患者が男女問わず普通にいます。10万人に1人というきわめてまれな病気と思えない錯覚に陥ります。
昼食の「きつねうどん」はうどんが伸びないように麺と麺つゆが別々になっていて、食べる時に麺つゆをどんぶりの中に入れるようになっていた。なかなか面白い工夫で、暖かいうどんが食べられることがうれしかった。
1時30分、手術後はじめてのシャワー。
90cm四方の狭いシャワー室で30分間、首から下だけシャワーを使って身体が洗えた。さっぱりしてとても気持ちよかった。
病室に戻ると寝具が新しく取り替えられていた。下着等も新しく着替えた。手術後1週間で全てリフレッシュ。心身ともに真新しい気持ちで2週目に挑む。ここまで全て順調に回復しているようでホッとする。心から河野先生を信じてよかったと言う気持ちがフツフツと湧き上がった。
9階のコインランドリーで洗濯。
午後3時、岐阜から両親が見舞いに来た。
ラウンジで1時間談笑。
気にしていた仕事も順調に事が進んでいることを聞き、ホッとした。
家族、スタッフに感謝。
おかゆから普通のご飯に変更してもらうように看護師さんに頼んだ。夕食後、洗面所の鏡でレンタルパジャマに着替えて記念撮影。
視線が・・・・、どこ見てんだか。
この日、ベットの角度を4度に下げた。