TOPページ » 聴神経腫瘍闘病記 » この記事

聴神経腫瘍手術体験記2

【実録!聴神経腫瘍との闘い】序章2

2011年3月1日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術のために東京警察病院に入院した日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。毎年何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。


3月1日

 東京警察病院のある中野北口に向かう。北口にはほとんど行ったことがなかったので32年前と比べて何も変わっていないように思えた。ただ一度通ったことがある英語学校は無くなっていた。

 中野ブロードウェイを歩く。ここはずいぶんと変わり、飲食店が格段に増えていた。当時はショートブーツを買いに訪れた程度であまり思い出の中に残されてい ない区域である。

 中野ブロードウェイを途中で出て、中野サンプラザ前を過ぎる。早稲田通りに出たところを左折。丸井の本社ビルを過ぎしばらく歩くと東京警察病院に到着した。32年前は警察大学校であった場所らしい。記憶の中にはなかった。

 入院窓口で受付を済まし、病室である5階に向かう。若々しい看護婦さんに案内されて4人部屋に向かった。今日は午後から麻酔科で全身麻酔の説明を受けるだけであった。レンタルで頼んでいたイーモバイルの接続機器は明日しか届かないので、今日一日は買い込んだ小説を読むこととした。

 携帯電話に目をやると着信ランプ。見てみるとメールが数通届いていた。なんとインターネットショッピングモール「ぎふ楽市楽座」の安田屋家具店に2件の注文が入っていることを告げる内容であった。美殿町のおふとんのお店 すずきやの若旦那にすかさずメールを打ち込み依頼内容を送信。折り返し快諾の返信が届き安堵する。3月1日から始まった「カゴメ野菜生活」(お気に入りの椅子編)テレビコマーシャルの影響なのか、ハンギングチェアー・スタンドセットの注文が入っていて驚いた。高額商品である。直ぐに電話で工場に発注を指示。顧客へのメールはすずきやの若旦那がすでにやってくれていたのでそのままにしておいた。

  昼食後、まったりと小説を読んでいると麻酔科に行くよう案内があった。1階の麻酔科に向かう。医師と看護師の二人が待っていてくれた。全身麻酔の仕方、全身麻酔の危険性などについての説明が行われた。説明を聞いている中で「聴神経腫瘍」が発見される前までには普通のことだと思っていたことに微妙にニュアンスが変わったことに気がついた。特に危険性の説明の中で、
「全身麻酔にはさまざまな危険性があります。中には脳腫瘍になったりして生命に危険な場合もあります。ただ症例としては10万人に1人という極めて低い確率なので起こりにくいことなのでご安心ください。ただそのような危険な場合もあることを理解下さい」

今までなら10万人に1人の確立であれば気にしなかったのであるが、発見された「聴神経腫瘍」は年間約10万人に1人で発症する難病である。つまり四代目はすでに10万人に1人に当たったのである。確率はさらに低くなるもののまたも大当たりしてしまったらと考えるとゾクゾクっと背筋が冷たくなった。しかしそれよりも全身麻酔の説明で意外な事実に驚愕した。
「手術が終わって全身麻酔をやめると約15分~20分程度で麻酔が覚めます」
「えっ、麻酔から覚めるんですか」
「はい」

 それまでテレビなどで見た光景として手術後は半日以上麻酔から覚めずに眠り続けているものだとばかり思っていた。それが術後直ぐに目が覚めるとは想像にしていなかったことである。不安が脳裏を横切った。思わず小声で「いやだぁ」と呟いてしまった。術後の状態がまったく想像できない今は不安と恐怖が入り混じって襲ってくる。打ち勝てるだろうか。拳を握り締めたまま麻酔科室を出て病室に戻った。悟られぬように平静を保ってはいたが、おそらく顔は半分引き攣っていたのではないかと思う。その後は何事もなく一日が暗闇につつまれていった。早朝からの行動で疲れたのか、消灯時間の9時にはウトウトと眠りについていた。

この記事の内容が役に立ったら共有してね!
    

Comments

Leave a Reply

Verified by MonsterInsights