いつか書きとめようと思っていたことです。
世の中にいろんな苗字の人がいるのですが、四代目の人生の中で、子供時代から現在に至るまでどういうわけか深くつながっているのではないかと思う苗字の方々がおられます。
その苗字とは【 河野 】姓の方々です。
小学校時代は、家が近所であったこともあり、また同じクラスになったこともあったので「こうさ」と呼んでいた河野君とよく遊びました。中学時代はも引き続きこの「こうさ」と呼んでいた河野君とは、一緒に本屋に行ったり、ゲームコーナーに行ったりしていました。特にゲームコーナーへは、「フリッパー(別名ピンボール)」の点数を競うためにほぼ毎日通っていた時期もありました。中学一年生のときには、些細なことが原因で激情し、木製バットを振り上げて担任の「シバセン」を威嚇したこともありました。そんな河野君も愛知県の中学教師となり、管理職としてがんばっているようです。今でも近くに住んでいるのですが、ここ最近は見かけなくなり、少々さびしいですね。
30歳代には、所属していた「岐阜青年会議所(岐阜JC)」で、「大日本警備保障」の河野社長とセクレタリー業務を通して仲良くなり、楽しい10年間を過ごしました。40歳代は「岐阜北法人会青年部会」でまたまた「大日本警備保障」の河野社長と一緒になり、河野さんが部会長になられた前後は、会合後のホテルパークさんの露天風呂に一緒に入浴したりして楽しい数年間を過ごしました。
そして40歳後半、ひょんなことから美殿町商店街の若手経営者の情報により「岐阜聖徳学園大学」 経済情報学部 河野 公洋先生と知り合うこととなりました。そのお知り合いをきっかけに、安田屋家具店ホームページを公開することができ、さらには費用的にやりたくてもやれなかったインターネットショップを河野 公洋先生のご協力とご尽力により、岐阜市の助成支援を受けてインターネットショッピングモール「ぎふ楽市楽座」を自分達で開設することができました。そして現在に至るまで、河野 公洋先生と知り合えたことにより様々な恩恵を受けることができています。河野ゼミの学生達と知り合えたことも、小冊子を作ったことも・・・・・、まだまだこれからもお力をお貸しいただきたいと思います。本当に感謝感謝!!! です。先日のお誕生日おめでとうございます。
先日の岐阜新聞に河野 公洋先生のコラムが掲載されていましたのでご紹介します。
そして昨年は、四代目の体に発症した「聴神経腫瘍」の主治医としてお願いした「河野 道宏」先生とのつながり。3月3日に河野 道宏先生の執刀により「聴神経腫瘍」の摘出手術を行い、3月23日に退院してから現在に至るまで無事順調に回復しているのは、河野 道宏先生のおかけです。インターネットを駆使して「聴神経腫瘍」の専門医を探していく中で河野 道宏先生を知り、河野 道宏先生に全てを託そうと決意した時に、今回書き込んでいる【 河野 】姓の方々と深くつながっているのかなと思った瞬間でした。そしてその時にこのつながりをいつか書こう、書こうと思いながらズルズルとなってしまっていました。
歳を重ねるごとに「河野君」から「河野さん」になり、そして「河野先生」へと呼び方も人も変わっていますが、人生の中で、かくも【 河野 】姓の方々と深くつながるとは・・・・、思いもしなかったことです。【 河野 】様、今後もよろしくお願いします。 by 四代目