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古い籐椅子 西京丸

 お客様から家具のリフォーム相談を受けてご訪問したときに見つけた籐椅子です。(ピンボケ写真でゴメンナサイ)

 とっても古いものですが、状態はとても美品でした。好奇心旺盛な四代目は、籐椅子をじっくりと観察してみました。すると籐椅子の後にお店の名前を記しているプレートを発見しました。

 そのプレートには「籐製品一式 大傳屋 金華劇場前」と刻印がされていました。金華劇場とは多分、岐阜市の中心商店街である柳ヶ瀬にあった劇場のことだと思われます。かなりかなり古い時代のことのようで、誰に聞いてもそのような店名は知りませんでした。しかし間違いなく岐阜市内で購入された籐椅子であることだけは間違いありません。

 昔はこのように家具にお店の刻印であるプレートやシールを付けていた時代がありました。安田屋家具店でも販売した家具に店名が明記されたシールを貼っていた時代がありました。それだけ当時は販売した商品に絶対の自信を持っていたんだと思います。現代のように使い捨ての家具を販売して、あとは知らん振りと言うことが許されない時代であったんでしょうね。お店の信用=商品の確かさ、今も忘れてはならないことです。

 お客様宅から帰社して、安田屋家具店の資料室でこの籐椅子について調べると、

 日本における籐工芸は千年以上の歴史があるといわれています。出雲大社には国宝となっている籐製の箙(エビラ)(矢を入れて背中に負う道具)があります。籐工芸が人々の実用的な生活道具として使用されるようになったのは明治に入ってからのようです。明治10年(1878年)に東京の上野公園で開かれた内国勧業博覧会(現在の見本市)の出品記録によると、籐製の椅子、寝台、敷物などが出品されていて、この頃から横浜や神戸で中国人によって始められた籐椅子を日本人が作り始めたようです。

 明治時代に入って、中国から籐家具の製造技術がもたらされたことなどによって籐椅子が一般的な家具となったようです。当時「西京丸」と呼ばれた籐椅子が相当に普及し、同じころ籐製の乳母車が爆発的な人気を博したと言われています。資料の写真を見てみると、お客様宅で見た籐椅子と同じデザインです。どうやら明治時代の「西京丸」と呼ばれた籐椅子のようです。このことをお客様にお伝えして、大切にご使用いただくようにしてもらいましょう。

 手元のこの平成5年の資料によると、当時の東京籐事業協同組合には約30店ほどの組合店がありますが、時代の流れとともにそのほとんどが廃業され現在は数店だけが残っているだけだそうです。寂しい限りです。ガンバレ、ニッポン!!!

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10月 10, 2011 · Posted in 籐家具修理  
    

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