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聴神経腫瘍手術体験記28

【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了22

2011年3月22日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術のために東京警察病院に入院していた日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。

尚、河野道宏先生は、現在「東京医科大学病院」にて診療を行われています。

これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。

2011年3月22日 手術後19日目

 6時起床、外は昨日に引き続き雨。
 7時30分、担当医が病室に来た。今日のCT撮影結果で退院が決定する。午後から診察室で説明を行う予定を告げた。

 9時30分、いよいよ運命のCT撮影。1階の放射線科に向かう。何回目のCT撮影だろう。これが入院生活最後となることを願う。病室を出ると退院された病室の清掃のために、ベットやテレビ台など病室の備品が廊下に出されていた。退院後の病室はこうして清掃され、また新しい入院患者さんが入室されるんだと思った。519号室も明日そうなるのかな。

 病室に戻ると新しい入院患者が二人入っていた。とうとう病室最古参となった。しばらくベットでまったり過ごす。写真にはテレビが写っていますが、テレビは入院以来全く見ていない。今日で24日間テレビを見ないで過ごしたわけだ。人生始まって以来の快挙です、テレビ見ないで過ごしたなんてね。

 11時、全身シャワー。30分間のリフレッシュタイム。洗髪時に傷口を軽く触れて洗うことができた。

 12時38分、地震発生。カーテンの揺れで気がつく。震度3。

 しばらくした1時30分、担当医に呼ばれ診察室に行く。

 担当医のM先生が「CT撮影の結果、脳内でのずい液漏れも無く、傷の回復も問題無いようですので、明日退院を決定します」そう言って、CT撮影画像を見せてくれた。家族に見せるため、手術前・後の画像をデジカメで撮った。

手術前

矢印の先の白い影の部分が腫瘍です。

手術後

手術後の写真には白い影が写っていません。全摘出です。

そして退院に当たっていくつかの質問を担当医のM先生にした。

  • 「骨はプレートで固定したのでしょうか」

プレートは使用していません。5箇所ほどを糸で結んであります。

  • 「退院後、入浴はできるのでしょうか」

退院後の入浴は普通にしていただいて良いです。

  • 「毎日シャンプーしてもいいのでしょうか」

シャンプーも毎日していただいても良いです。

  • 「車の運転はいつごろからならいいのでしょうか」

振り向いたときにめまいなどが発生する場合がありますので、退院後2~3週間ごろに外来で検査してから問題がなければ徐々になれるように運転をされる方が多いです。

  • 「退院後の生活で注意することはなんでしょうか」

退院後の感染症が一番怖いです。感染症にならないように風邪をひかないように注意してください。

  • 「体の抵抗力、免疫力は落ちているのでしょうか」

多少落ちていますので、十分気をつけるようにしてください。

  • 「飲酒はいつからできるのでしょうか」

ほどほどであれば退院後に飲んでも良いです。

 質問を聞き終えた後、担当医と記念写真を撮った。一生の思い出となる。

 次回の外来検査を3週間後に予約した。予約した外来診療では、CT撮影、耳鼻科検査、そして河野先生の診断となっていた。それまでじっくりと療養しようと思った。

 この病院食も残り数食でお終いです。
 そう思うと感慨深く味わって食べるようになりました。

 毎食、ラジオを聴きながら食べていました。
 手術後、右耳は失聴しましたので、イヤホンは片耳にのみの使用です。1本だけの片耳用のイヤホンというものは存在しないのでしょうか。あると便利なのになぁーと思います。

 この日は「退院」の決定以外何も無く、一日が過ぎていった。
 もう直ぐこの病室ともお別れです。狭いながらも快適に過ごした場所です。ちょっと病室のご紹介を・・・・。四代目の病室は5階西病棟519号室です。

 矢印の先が専用ロッカーです。病室内のベット番号と同じ番号が専用ロッカーとなります。小さいけれど1か月分程度の荷物が十分収納できます。

 続いてトイレです。温熱便座のシャワートイレです。地主の四代目にとって快適なトイレでした。

 手をかざすだけで水が流れる優れものです。ベット周りについては以前ご紹介しましたので割愛します。

 「退院かぁー」と思いつつ腕に目をやると、入院以来24日間つけてある患者識別バンドが見えました。入院初日に直ぐに取り付けられたものです。24日間もつけたままだとバーコードも薄れてきています。でもこれがある限り、手術で間違えて正常な耳側を手術するなんていうミスや、点滴剤間違えたりなんていうミスが起こりません。このバンドのおかげです。お疲れ様です。

 ベットのテーブルに目をやると・・・・、

 入院前には大量に販売されていた携帯ラジオ。入院時に奥さんが中野の「ドンキホーテ」で買ってきてくれたものです。退院までの憩いのラジオでした。3月11日の東日本大震災後は入手できなくなったラジオです。震災の様子などの情報は全てこのラジオで入手しました。眠れない消灯後の必須アイテムです。青春時代に戻って深夜ラジオを聴いていました。退院の日には、被災地の皆さんに役立ってもらうようにと「赤坂サカス」に行ってこのラジオを寄付しようと決めました。

 今日の5階ラウンジ室からみた風景です。

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3月 22, 2021 · Posted in 聴神経腫瘍摘出 手術体験談  
    

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