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聴神経腫瘍手術体験記8

【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了2

6年前の今日、2011年3月3日~4日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術を東京警察病院で行い、手術が終わった日です。手術をしてから6年が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。

尚、河野道宏先生は、2017年現在「東京医科大学病院」に主任教授として異動され、同病院にて診察、手術を行われています。


 これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。

2011年3月3日 夜半~4日朝

 頭の左側にはテレビドラマでよく見る「ピッ、ピッ、ピッ・・」というモニター画面がチラッと見えた。心電・血圧などを測っているのだと思う。足元ではエアーマッサージ器が足首→ふくらはぎ→膝下脚全体の小気味良い正確なリズムで伸縮を繰り返しマッサージをしていた。ICU試練の中でこれが一番心地よく、試練に耐えるための唯一の心のよりどころであった。

 

 切開された頭部の痛みは無い。頭部よりも身体の左下側が痛い。耐え切れない痛みを感じる。長時間の手術中、左側をずっと下にしていたことが原因である。うっ血して床ずれのようになっていることが容易に想像できた。しかし耐えられない。身体をひねる、うまく動かすことができない。悪戦苦闘しているとICU担当ナースがやってきた。「お名前は」「生年月日は」と質問をされた。質問に答えた後、「どこか痛いところありませんか」「左側が痛い」と伝えると状況を見てくれた。「赤くなってますね。氷で冷やしましょうね」と言い、即座に氷で身体左側を冷やしてくれた。さらに少し左側を持ち起こすために何個か枕を左側に差し込んだ。この処置で少し痛みが和らぎ楽になった。

 しばらくすると河野道宏先生の技術を継承していく担当医2名が来てくれた。

「どうですか」
「大丈夫ですか」
「目を瞑ってみてください」
「唇をいーんと横に広げてみて」

 顔面麻痺が出ていないかの確認である。問題ないことを確認して安堵の笑みを浮かべた。「大丈夫ですよ。がんばってください」と言ってくれた。心から「ありがとうございます」と最敬礼をした。

 少し落ち着いてくると息がしにくいことに気がつく。
嘔吐を防ぐために鼻から胃まで差し込んだチューブが右鼻穴に入っているからだ。口呼吸をしていると息苦しくなってくる。鼻呼吸を行うとチューブがじゃましてうまくできない。眠くて眠りたいのに眠れない。息苦しい。一瞬、呼吸ってどうやるのかとわからなくなってしまう。息苦しくて仕方なく口呼吸をしていると喉の粘膜がくっつく。のどが痛くなる。鼻の違和感、のどの痛み、呼吸のしにくさ、身体左側の痛みとの闘いがしばらく続いた。

 2~3時間ごとにICU担当ナースが見回ってくれていた。その都度、氏名や生年月日、担当医の名前、主治医の名前、今日の日付などいろいろな質問をして意識確認をしてくれた。時には計算もさせられた。「100から7を引く計算してください」「そこからまた7引いていくつ」「さらに7引いて」「はいOKです」そして「少しうがいしましょうか」といって口に水を含ませてくれた。飲むのではなく口の中でグチュグチュしてから吐き出すのだ。このうがいはありがたかった。砂漠の中で水を得た心境だった。

 3時間ごとにベットの頭部をすこしづづ起こしていった。最初は5度くらいの傾斜に感じた。最終的には20度くらいの角度に起き上がったと記憶している。頭部が持ち上がると体がずり落ちていくので、時々2名のスタッフで対応して引き上げてくれた。感謝!!
 夜中、手術着のままの河野先生がふたたびやって来てくれた。心強かった。

「大丈夫ですか」
「目を瞑ってみて」
「口をすぼめてみて」
「よーし、大丈夫」
「がんばってください」

河野先生の優しい声掛けが勇気百倍となった。
手術着のままということは、まだ手術行われていたんだと思った。
すごい精神力、集中力だと思った。タフだ。

 喉の粘膜がくっつく違和感が続き痛い。つばを飲み込もうとしてもつばが溜まらない。鼻水を少しすすってみるがチューブがくっつき痛い。我慢してほんの少しすすって口の中に水分を溜める。口の中にほんのわずか溜まった水分をのどに流す。くっついていた喉の粘膜が流れてきた水分で離れる感じがした。そして痛みも和らいだ。少し呼吸が楽になった。何回も繰り返していくうちに鼻チューブに慣れたのか、知らないうちに鼻呼吸をしていた。そしてウトウトと浅い眠りをむさぼっていた。

 しかし直ぐに意識チェックで起こされる。「今何時がわかりますか。今9時ですよ」の声が時間を聞いた唯一の時であった。ベット右側に大きな時計が置いてあったが近眼なので見えなかった。もうこの時にはすでに時間の観念が無い。どうでもよいことである。

 頭の中で「時間がクスリ、時間がクスリ、あと数時間我慢するだけ」「時間がクスリ、時間がクスリ」と何回も繰り返し念じた。時には数時間前に聞いた曲を口ずさみ耐えた。ぼんやりと天井を眺めると、天井灯が二重に見える。右目、左目が見た画像がそれぞれ独立して見える。片目を閉じれば解決するが、両目で見ると左右それぞれの画像が見えるので物が二重に見える。脳で画像処理がうまくできてないのだろうか。二重に見えることは目を閉じればとりあえず解決できるし、時間の経過とともに治っていくだろうと思った。それよりもめまいや吐き気はまったく感じられないことが助かった。

 しばらくしてふくよかな体型を手術着で身を包んだ布袋様のような見覚えのある顔が見えた。手術説明時に同席されていた医師だ。秋元 康氏に似ていた。マスクをした顔から見える目に笑みを浮かべておられるのが見えた。その笑顔を見て心が和らいだ。癒されるやさしい目であった。辛さも一瞬吹き飛んだ。あの笑顔は今でも脳裏に焼きついて忘れられない。うれしかった。

「大丈夫ですか」
「目を瞑ってみて」
「口をすぼめてみて」
「よーし、大丈夫」顔面麻痺が出ていないか確認して、出ていないことがわかると安心してICUを退出された。時間の観念が無くわからないが深夜であることは間違いない。こんな時間まで手術してたんだと思った。その後、徐々にICUでの辛さもほんの少しづつ和らぎ、ウトウトと浅い眠りを貪っていた。

 どの位の時間がたったのだろう。もう夜は明けたのだろうか。あと何時間経過すればICUから出られるのだろうか。目が覚める度にそんなことを思った。ベット右においてある時計をチラリと見て、もう直ぐ夜が明ける時間であることがわかった。するとパタパタパタと足音。足元に目を向けると河野先生が近づいてくるのが見えた。この時間に来るのは病院に泊まったんだ。何回も気にかけていただいていることに薄っすらと涙がこぼれた。

「どうですか」
「目を瞑ってみて」
「口をすぼめてみて」
「ここの感触は左右で違いますか」
「大丈夫ですね」
「もう少しですよ。がんばってください」と河野先生。素直にがんばろうと思った。わずか2分程度の短い時間であったが心強かった。河野先生の言葉に安心したのか、眠ってしまった。・・・・・・・・・・つづく

    

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