「ラグーナ蒲郡」を出発し、蒲郡駅に到着した旦那衆は、
早速JRの運賃を確認。すると蒲郡駅~豊川稲荷駅まで、なんと480円。

話し合った500円以内だったので、JRを利用して豊川稲荷に向かう旦那衆でありました。
蒲郡駅を出発して約20分、「豊川稲荷」駅に到着。
参道を歩いて、豊川稲荷山門に向かったのであります。

四代目は生まれて初めて訪れた「豊川稲荷」でした。

狛犬ならぬ、おキツネ様がお出迎え。

 りりしいお姿です。

 とっても広い境内です。

今日は閑散としていますが、お正月三が日はこの広い境内が人・人・人で埋まります。

 本殿です。

豐川稲荷は正式名を「豐川閣妙嚴寺」と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。
神社ではなく、お寺だったんです。

一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像するのですが、
豊川稲荷でお祀りしてあるは、鎮守 (とよかわだきにしんてん)様です。
(とよかわだきにしんてん)様が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか
「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っているそうです。
途中でこのことを知った四代目は、知るまで神社式の参拝をしていました。

(とよかわだきにしんてん)様、申し訳ありませんでした。

 おおきなちょうちんがお出迎え

本殿での参拝を終え、さらに「奥の院」「進むのでありました。
いつのまにかバラバラに行動していた旦那衆でありました。
四代目は、漬物屋と履物屋の旦那と共に行動しておりました。

 神聖な境内を奥へと進むのであります。

 諸願成就の願いをこめた千本幟

幟(のぼり)を奉納するのは千日の功徳行願に当たると昔から言い伝えられているからだそです。
大リーガーの「イチロウ」の幟もあるそうですが、見つけられませんでした。
遠くは沖縄地名の幟がありました。

この先は「霊狐塚」、狐たちの秘密基地があり、言葉では言い表せない静寂と神聖な
雰囲気に、写真を撮るのをためらってしまいました。なんだか撮ってはいけないような
雰囲気が漂っていました。なので他の方の「霊狐塚」の写真をご覧ください。

境内をぐるっと一周して、そろそろ昼食時間になってきたので、参道に戻りました。

 ここが参道の入り口

左が「元祖いなほ稲荷寿し」でマスコミに結構取り上げられている「門前そば 山英」、
家族の晩飯用にと二つ購入。(漬物屋の旦那も二つ購入)

左側の店が、豊川稲荷といえば「宝珠まんじゅう」。
「ほーじゅまんじゅぅー」のCM音楽がなぜだか耳にこびりついている四代目。

今回欠席した歯科医師・陶器・漆器・花店・和菓子屋の旦那五人のお土産として
「宝珠まんじゅう」を購入。

どっさりとお土産を購入し、重い荷物を抱えながら、昼食場所に向かったのであります。

途中の商店街は「なつかし青春商店街のコンセプトで、看板を統一。
 全店の看板が統一されてます
さらに美殿町と同じレトロがコンセプトなのでしょう、古いホウロウ看板を
店舗の壁に取り付けています。

    

  商店街で一番大きいタイプ

途中こんな店頭展示もありました。80年代のお面。
あなたはいくつキャラクター名がわかりますか?

  アラレちゃんだぁー。

商店街を抜けると今回の珍道中、最後の食事場所、目指すは
豊川名物「うなぎ」の京楽軒のうな丼。

席に着くなりまずは「きも焼き」に「うなぎの骨唐揚」に熱燗・ビールを注文。
つまみが来る前に、先ほど土産で買った「ヤマサのちくわ」を食しつつ一杯ぐいっと!!
いやぁー、五臓六腑にしみわたりますネェーー!!

まちにまった「うな丼 松」の登場。ここのうなぎは、まさに絶品!

 肝吸いも付いてます。
表面がカリッと香ばしく、甘すぎないタレの味も絶品。

全員きれいに完食。

おなかも満腹となり、一路岐阜を目指して「豊川稲荷」駅から名鉄電車に
乗り込んだ旦那衆でありました。皆、お疲れ気味で、岐阜に到着するまでの約1時間30分、
ぐっすりと眠っておられました。

朝からたっぷりと食し、昼食は絶品うなぎ丼、おなか満腹で、今日の晩御飯は
なしでいけそうです。

四代目は、岐阜に到着次第、欠席者の旦那衆にお土産の「宝珠饅頭」をお届けし、
さらに岐阜聖徳学園大学の河野先生とゼミ生たちとの「ぎふ楽市楽座」に関する
打ち合わせが待っておりました。今日もまた忙しい一日です。

8回にわたってお送りいたしました「旦那六人衆 漫遊記」いかがだったでしょう。

こんな楽しい旦那衆が、美殿町の各老舗専門店で、皆様のご来街をお待ちしております。
各店の旦那衆に「漫遊記見たよ」といっていただくと、もれなく素敵な粗品がきっと
もらえると思います(お約束はできませんが・・・・)ので、ぜひ一声おかけください

これにて「旦那六人衆 漫遊記」の一巻のおしまい、おしまい。   【 完 】 

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6月 27, 2009 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

5月20日にアップしました「80年前の座卓」の塗り直し修理が
完了いたしましたので、★★「よみがえった80年前の座卓」★★
として、どう変わったのかをご報告いたします。

お母様がご婚礼時にお嫁入り道具として持参された「座卓」で、
サイズは幅850×奥行750×高330㎜とコンパクトなので、座卓以外として
リビングルームのセンターテーブルとしても利用できます。

 お預かりした状態です。

    ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
       新品同様にリフレッシュしました

 見違えるほどきれいになりました

80年前当時はおそらく擦り漆仕上げがしてあったと思いますが、
今回はウレタン塗装仕上げで塗り直しました。

今回のご修理費用は座卓全体を塗り直して、消費税込み38,000円(運賃別)でした。
こうしてよみがえった座卓は、新しい想い出と歴史を刻み込まれながら、また80年の
歳月使い続けられることを願うばかりです。

家具のご修理をお考えの際は、一度安田屋家具店にご相談ください!!

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23年前に当店にてご購入されたダイニングチェアーのご修理相談があり
早速商品を見てきました。

その椅子は今も現役で生産・販売している、もちろん当店にても展示展開している
椅子です。

その椅子とは・・・、スウェーデンのデザイナー、ブルーノ・マットソン氏(1907~1988)
デザインの、日本と北欧の融合ともよべる成形合板家具の傑作コレクション、天童木工の
MAシリーズでした。

材質はブナ材、背もたれ部分に四つ目籐シート張りです。
座面クッションは、簡単に取り外しができるようにボタンで取り付けてあるだけなので
張り替えるのではなくクッション取替えでメンテナンスができる、長ぁーーーぃ使用期間を
考えて作られている椅子です。(現代の使い捨て椅子とは大違いですネェー)

23年経過すると本体木部のブナ材も、人工的には絶対に出せないアメ色に変化しています。
当店に6月初旬に展示した同じ椅子と比較した写真がコレです。

 

左が23年前の椅子、右が新品の椅子です。
色の違いがわかりますでしょうか。アングルを変えてみると・・、

23年経過した椅子も、ご購入当時のもともとの色は、左の新品の椅子と
同じだったのですが、年数が経過するごとに自然に色がアメ色に変化しています。

今回ご修理相談の内容は、背もたれに張ってある籐シートが破れたので
張り直してほしいとのことでした。現状はこんな状態です。

拡大すると、破れ箇所が広がりつつあります。

天童木工では現在、天然の籐シートの品質・耐久性が年々悪くなるばかり
のため、以前のように自信を持って製品が生産できないとのことで、
この籐シートは、耐久性を考えた樹脂製シートに仕様変更しています。
ただ天道木工のすごいところは、樹脂シーといえども天然籐シートの
雰囲気をそのまま残した作りとなっています。

この辺が安物家具とは違うところですね。
この違いはぜひ現物で確認していただきたいところです。

お客様は樹脂製よりも天然の籐がいいとのことで、耐久性を持った
天然籐シートで張り替えることを考えなくてはならなくなりました。

難しぃぃーーー!!
天童木工では天然の籐シートで修理できないので、籐職人によって修理するしかありません。

しかしこの籐職人の選択が問題なのです。

かって当店でも地場の籐職人に張替えをさせたことがありますが、張替え技術は
あるのですが、現状張ってある籐シートを取り外すときに、椅子本体木部に傷をつけて
しまうことが多々あったのです。

長年全国の籐職人を探した中、修理価格・技術・仕上がり状態を見て判断した結果
現在当店が自信をもってご提案できる【 籐製品の鉄人 酒井職人 】にたどり着いたのです。

今までに何十件と酒井職人による修理を行いましたが、いずれもお客様にご満足
いただいております。

今回の張替え修理も、どんな状態になったのか仕上がりましたらまたご報告いたします。

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