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聴神経腫瘍手術体験記26

【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了20

2011年3月20日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術のために東京警察病院に入院していた日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。

尚、河野道宏先生は、現在「東京医科大学病院」にて診療を行われています。

これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。

2011年3月20日 手術後17日目

6時起床

 10時40分、担当医が来てくれた。順調な回復振りに笑顔があふれていた。手術後、視力が変化したようだと伝えると眼科での視力検査を検討してみると言った。左右の黒目の大きさの違いを伝えると徐々に治っていくので問題ないらしい。また縫合傷周りの感覚が鈍いことを伝えると、回復までに半年程度かかると言われ安堵する。

 現在の縫合傷周りの感覚は、正座してしびれた脚を触ったときの感覚に似ている。自分の皮膚であって自分の皮膚で無い感触。痛みはまったく無い。

 担当医と入れ替わって河野先生が病室に来られた。縫合傷部分を見られて順調な治りを確認されてから「昨日の誕生日おめでとう」と言われた。照れくさかった。

 昼食後の1時、全身シャワー。洗髪を行うものの怖くて縫合傷部分はまだ触れない。その他の部分をシャンプーして傷部分は流すだけにした。触っても感覚は無いもののまだ怖い。全身シャワー後、下着を着替えさっぱりとする。

 1時30分、【遠方より友来る】
 約20年ぶりの再開。大学時代の友人である金原君。ちなみに金原は「きんぱら」と呼びます。「きんばら」というと歴史的に由緒ある名前の由来の解説が始まります。

 缶詰を見舞品として持ってきてくれた。

 フルーツ缶の詰め合わせに、食べる時のスプーン・フォーク、さらに紙コップまで、いたれりつくせりのお見舞い品だった。缶切りが必要ないようにプルトップ式の缶詰をわざわざ選んでくれたそうです。ありがとう、きんぱら君。

 
 卒業旅行として二人で一緒にアメリカ大陸横断旅行をした凸凹コンビ。2時間にわたり9階の喫茶店で、手術体験やら思い出話に談笑。手術後、はじめて長時間会話した。声はまだかすれていることに気がつく。楽しい時を過ごした。3時30分に別れた。

 金原君と長時間話した場所は、東京警察病院9階にあるレストラン「憩」。午後2時30分に入ったので、誰もいなかった。ひろーいレストランで大いに語り合ったのでした。それにしても職業柄、家具のチェックをしてしまうのですが、このレストランの椅子をみてビックリ。多分誰もそんな椅子だとは思わずに使っているのでしょうが、安田屋家具店でも展示・販売している「天童木工」の高価な椅子だったんです。業界人なら、パッと一目見てすぐにわかる椅子です。天童木工らしい優雅なデザインです。

 
 耐久性に優れた丈夫な成型合板で作られた椅子です。『チェアー T-5513WB-ST』 インパラのように今にも飛び跳ねそうなフォルム。この椅子はとっても軽くて丈夫なのが自慢です。

 1脚40,530円(税込)です。

 レストラン全体で30脚ほどありましたので、椅子だけで120万円ほどになります。このレストランの椅子には、予算をかけていますね。病棟のラウンジは、比較的予算をググッと抑えに抑えた業務用の「オリバー」の家具でしたからね。かなりの違いです。東京警察病院9階レストランの椅子は、一度座ってみる価値は十分にありますよ。レストランでこの椅子使っているのは、ここ以外では高級レストランしかありませんからね。

 下界では連休二日目。この日も病院内は静まりかえり、外来・検査などは明日まで休み。特にすることは無い。ゆったりと回復に専念する。

 【退院】まであと数日。

 今日一日過ごしたコーディネートです。
 頭の傷口が見えないようにニット帽をかぶっていました。

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3月 20, 2021 · Posted in 聴神経腫瘍摘出 手術体験談  
    

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