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聴神経腫瘍手術体験記6

【実録! 聴神経腫瘍との闘い】手術当日2

2011年3月3日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術を東京警察病院で行い、手術が終わった日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。毎年何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。

尚、河野道宏先生は、現在「東京医科大学病院」にて診療を行われています。

3月3日

 朝8時45分~夕方6時ごろまで続いた手術中、四代目自身の記憶が無いため、術後に思ったことです。

 これ以降の体験内容はすべて四代目個人が自分自身の記憶として作成したものです。発症理由が不明な難病であり、年間10万人に1人という極めて低い確率で発症する「聴神経腫瘍」の手術体験は、腫瘍発症年数、大きさ、場所、状態、放射線治療の有無、年齢、生活環境などによって人それぞれに違うようです。100人いれば100通りの手術体験があるようです。術後状態は重度な人から軽度の人まで様々です。今回四代目が体験した術後は、とても難しい手術にもかかわらず、比較的軽度の症例ではないかと思っています。これもひとえに河野道宏先生のおかげと感謝しております。ちなみに入院中に東京警察病院で見かけた聴神経腫瘍摘出手術を終えた人々は、おおむね手術後1週間経過すれば、頭に圧迫包帯を巻いている以外は、ごく普通に生活・行動されていました。

 手術前、インターネットによってできるだけ多くの「聴神経腫瘍手術」に関する情報を集めました。さらに手術を決めた後は、不安と恐怖が入り混じり想像もできない未知なる体験である手術後の状態、いわば手術体験談、体験記をただひたすら集めまくり、むさぼるように読み漁りました。読む情報が多くなるにつれて、不安と恐怖が忍び寄ってきました。ついには「今の状態でいいのではないか。このままでいいじゃないか。何で手術しないといけないのか。手術やめるか」という思いが出てきたのです。

 手術体験記を読み込むでいくと気になる症例を目にします。顔面麻痺が残り目が閉じない。鼻から髄液がたれてきた。口に水を含むと術側の口から漏れる。うまくしゃべれない。味覚が変わった。術後4日経過して気がついた。どれもとても有意義で貴重な経験談であり、役に立ったことは言うまでもない。情報を発信された方には、自らの体験を発信したことに敬意の念と深い感謝を申し上げます。実際これらの情報がどれだけ心強かったことか。

 ネット社会によってもたらされた手軽で便利な情報収集。しかし集めた膨大な情報の中から、どの情報を信じ、選択するのかは自分自身に委ねられている。重度な症例から軽度の症例。様々な情報であるが、それらを知ることはとても心強い。まったく想像できない未知なる体験に挑む者にとってはとても心強いものである。情報を持っていることがこんなに心強いことなのかを強く感じた。

 振り返り四代目にとって心強かったのは「家族」であった。頼れるものは「家族」。手術に揺れ動く心境を見て後押しをしてくれたのは紛れも無い家族であった。

「大丈夫だって。痛くないって」
「手術するんでしょう}
「決めたでしょ」
「決めたのはあなた自身でしょ」

 これらの言葉を受けて、沸々と勇気と力が湧き上がったのです。家族にはこの場を借りて感謝!! 感謝!!  

 未知なる経験、「聴神経腫瘍摘出手術」に闘いを挑むならば、情報を持っていることが重要。何も知らなければ漆黒の暗闇の中、言い知れぬ恐怖と闘わなければなりません。何が起こるかわからないことほど怖いものは無い。反面、どんな情報でも知っていれば、漆黒の暗闇の中でも手探りで何かをつかむ事ができます。知ることは想像することができることにつながります。どんな状態でも、それに近い体験談を知っていれば、その後の成り行きを何となく理解でき、想像し、耐えられる。術後の症状が軽ければそれで良し。たとえ重くても、どんな状況になるか知っていれば対処できる。知らないことが一番怖いことを今回知った。たとえどんな情報であっても。インターネットは情報を流すだけであり、洪水のように押し寄せる情報の中から何を選ぶかは・・・・、自分自身に委ねられている。そう、決めるのは「あなた」である。

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 不安と恐怖の【聴神経腫瘍摘出手術】に闘いを挑むなら、それを楽しもう。とてもそんな状態でないことは経験済み。ならば「手術止める ???」手術を取りやめて、不安な毎日を過ごしますか。手術を行うと決心したならば、不安と恐怖に打ち勝つために楽しもう。無理して楽しもう。そして最後は笑おう。アハハと笑おう。笑い飛ばしてしまおう。他の体験者から声かけていただいたアドバイス。【時間がクスリ、時間がクスリ】このアドバイスがどれだけ心強かったか。この言葉を信じ苦しい時間を耐えられた。私は手術前に読んだ本の中の【何ていう日だ。寝ちまえ! 寝ちまえ! 目が覚めれば別の日じゃねぇーか】が心に思い浮かびました。

夕刻未明

 パソコン画面に映った見積書を見ながら「早く見積書を書かないと、金額は、ええっと・・・」と思っていたら遠くから「すみさん、すみさん」と呼びかける声に気がついた。ふと目を向けると(実際には目を開けると)、誰かの顔が見えた。

「えっ、ここは??、ここはどこ??」
しばらくして
「あっそうか、手術終わったんだ」ということに気がついた。
「お名前は」
「生年月日はいつですか」
「今日は何日ですか」という問いかけがあり、いずれもかすかな声で答えた。

「手術終わりましたよ。これからICUに行きますからね」という声とともにベットが移動するのを感じた。着いた部屋は少し薄暗く狭い部屋であった。「手術終わったんだ」と実感していると直ぐに河野道宏先生が手術着のまま駆け寄ってきてくれた。

「大丈夫ですか。手術無事終わりました」
「あなたの腫瘍は一般的なものと少し違っていました。通常は聴神経腫瘍の後ろ側に【顔面神経】があるのですが、あなたの場合は前面側にありました。こんなケースは非常にまれで、今まで500前後行った手術の中で20数名、約5%しかない大変難しい手術でした。でも大丈夫ですよ。腫瘍は全て摘出しましたからね。さらに聴神経か前庭神経か、どちらかよくわからないのですが、1本神経残ってますからね」

「はい、ありがとうございます」と小声でつぶやいた。声がかすれていた。
「助かったぁー」
「神経1本残ったんだ。あぁーすごい、河野先生の技術。信頼してよかった」
「バンザァーイ」と思っていると

「目をつぶってみて」
「口をうーんとすぼめて」
「唇をいーんと横に広げて」
「口の中で舌を動かして」と河野先生の声。

指示に従ってやってみる。全部できた。
「全部できるね。よーし大丈夫」という心強い声が狭いICU室内に響き渡った。
全部できた。心配していた顔面麻痺はないようである。心配していた目もしっかりと閉じることができた。唇も自由に動く。口の中で舌も自由に動く。おやっ? 頭の痛みが無い。切開しているのにまったく感じない。麻酔のせいか。そうだよな。痛みのことよりも顔面の動きが気になってしょうがなかった。自分自身で何回も試してみた。

「家族の方、大丈夫ですよ」ふたたび河野先生の心強い声。足元に立っている家族をチラリと見た。少し涙ぐんでいるように見えた。今の状態をデジカメに何回も撮影していた。回復したら当事の様子をゆっくりと見ようと思った。今すぐはイヤだ。

そしてここから術後最大の試練が待ち受けていることなど露知らず、ボーとしていた。

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Comments

2 Responses to “聴神経腫瘍手術体験記6”

  1. 愛子 黒沼 on 10月 21st, 2014 11:07 AM

    私も、聴神経腫瘍なんですが、腫瘍は、小さく、何しろ耳鳴りが、酷くてショッピングモールとかには、行けません
    来月手術なんですが、結構引きこもりです

  2. 四代目 on 10月 22nd, 2014 6:30 PM

    ご連絡ありがとうございます。来月手術とのことで、さぞかし不安な毎日をお過ごしのことと思います。この気持ちは経験者のみ知ることですので、私にはよくわかります。どちらの病院で手術をされるのでしょうか。

    手術までの期間、いろいろな聴神経腫瘍体験者のブログなどを読まれ、どんなことが起こりうるのかという情報を持っていると、手術後の自分がどんな状態で、この後どうなるのかがわかるので安心できます。こういうこともあるんだと知っているのは大事ですよ。すでに読まれたと思いますが、女性体験者である「ようちん」さんのホームページも参考になると思います。

    不安になりすぎず、手術までの期間をお過ごしください。きっと大丈夫ですよ。全身麻酔から覚めたら、病気発症前にきっと戻っているはずです。手術直後のICUがたぶん一番つらい時間だと思いますが、それを乗り越えれば、何もしないでゆっくりとすごせる人生のご褒美といえる入院生活にきっとなります。岐阜の地から無事に手術を終えられることを祈っております。不安なことや聞きたいことがあれば気軽にご連絡ください。経験上知っていることならばお伝えします。

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