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聴神経腫瘍手術体験記17

【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了11

2001年3月11日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術のために東京警察病院に入院していた日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した 右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。

尚、河野道宏先生は現在「東京医科大学病院」にて診療を行われています。

これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。

2011年3月11日 手術後8日目

6時起床
7時採血
8時40分、CT撮影。

切り傷が治っていくときの「ズキン」という鈍痛が少し出てきたように感じる。治りつつあるんだということが実感できる心地よい痛みである。順調、順調。午前中は読書。寝ることが回復に一番つながると信じてとにかく時間があれば睡眠。

今まで毎食事に看護師さんから処方薬をその都度もらっていたのだが、今日からは1日分の処方薬を自分で管理するようにと薬袋と薬入れを持ってきてくれた。

午前中、廊下に出てみると「看護実習」の学生集団が5階西病棟に来ていた。

ご飯を咀嚼して口を動かしたほうがよいと思い、昼食から「全粥」を普通のご飯に切り替えた。

昼食後は読書と睡眠が続いた。処方されたステロイド剤が6錠から4錠に減った。ふらつきはなくなったが、遠くの物がまだピントが合わない。眼鏡を外して近くのものを見る分には問題ない。老眼の進行?? 視力の低下?? なんだろう。黒目の大きさが左右違うらしい。術側の右目が小さいらしい。何か関係があるか。また点滴針が刺さっていた手の甲部分の色が変だ。看護師に尋ねると時間の経過とともに元に戻るとの事を聞き一安心。

午後談話ラウンジで過ごしていると、突然クラクラっとめまいを感じた。「何だ?」一瞬戸惑った。視点が定まらない。ここに来てめまい発生か。緊張する。身体が揺れてるのか? 不思議な体感に気がつく。ラウンジが騒がしくなった。どうやら地震らしい。めまいではなかった。身体が揺れていることに気がつく。そして地震実況中継体験記を打ち始めた。

地震発生後は、余震が何回も続き、ラウンジ閉鎖。エレベーター停止。病室から出ないようにとのアナウンス。コンビニに買い物に行けなくなった。病室の間仕切りカーテンが揺れる。夜半まで余震が続いた。外出禁止令が出て、病室から出ることができなくなった。夕方担当医師が2名来た。

「回復は順調そうですね」
「来週抜糸して包帯をとりましょう」
「急がなくてもいいですよ」と言うのがやっとだった。慌てず急がず。

夜は厳戒態勢であった。
病室の扉はOPENにして固定された。
担当ナースの顔がいつもと違って緊張していた。
病院の外では都内の電車が全て止まりパニックの様子。
ここ病院は別世界となり、下界の喧騒を他所に静かに更けていった。
ベットの角度は0度にした。

当日の地震体験は【3月11日 東京地震体験】をクリックしてご覧ください。

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3月 11, 2021 · Posted in 聴神経腫瘍摘出 手術体験談  
    

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