【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了12
2011年3月12日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術のために東京警察病院に入院していた日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した 右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は、現在「東京医科大学病院」にて診療を行われています。
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これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。
2011年3月12日 手術後9日目
昨夜はずっとラジオを聴いていた。
都内は大変な状態になっているらしい。
今朝は8時40分にならないと電車が動かないらしい。
日勤のナースは出てこられるのだろうか。
夜勤のナースは帰宅できるのだろうか。心配する。
病室「519号室」から見る外の景色は、ちょうど早稲田通りに面しているが何も変わらない。
心配を他所に、普段通りに夜勤・日勤ナースの交代が行われた。かならず交代できる体勢がとられている。まさにすごい。完璧だ。完璧なまでの完全看護体制。安心して入院できる「東京警察病院」
一日中ラジオを聴きながら過ごす。
都内よりも東北地方の被害が甚大らしい。
福島原子力発電所も極めて深刻で危険な状態とのこと。
全てこの地震ニュースで持ちきりであった。
朝、担当医が包帯の具合を見に来てくれた。久しぶりにまじまじと担当医を見たら感じが違った。堂々としたいでたちで威厳があった。まさに頼れる医師だ。河野道宏先生の下で、毎日、聴神経腫瘍のスペシャリストとして知識、技術、数多くの経験を積んでおられる頼もしい人達である。河野先生のあとを継ぐ医師になられることを願った。担当医になっていただいたことに感謝。
地震の影響で出勤できない医師・技師があり多くの診療、手術が中止になった。昨日の午後の手術は全てキャンセルだったらしい。当然と言えば当然。それにしても地震発生が午後2時46分ころ。自分の手術の時でなくて運がよかったと思った。午後2時46分といえば手術も後半。顕微鏡を見てのミクロの世界での腫瘍摘出最中。こんなときにグラグラッと揺れていたらと想像すると「ゾッ」とする。そんなことにならなくて心底よかった。運がまだある。神様に感謝。
昼食後は2回目の首下シャワー。
さっぱりしてから1階のコンビニに行った。
外来がある日なのに1階2階ともに人がいなくて静まり返っていた。コンビニに入ると弁当はひとつも無かった。食べ物が少なくなっていた。地震の影響が出ていた。
午後3時、何の前触れも無く突然、ふらりと一人で河野道宏先生が病室にこられた。笑顔で回復振りを見にこられた。今日の河野先生はとても気さくな雰囲気を漂わせていた。この時とばかりに「河野先生、ありがとうございました」と涙を流さんばかりの顔でお礼を言い、腫瘍を取り除いたゴッドハンドと力強く、そして固く握手をさせてもらった。一人感動してしまった。すると「ブログ着々と更新してるね」と言われた。恥ずかしかった。同時に「多忙な中、いつ見る時間あるのだろう」と思った。
病室内の入退院があり、とうとう古株No.2になった。
それだけ長く入院していることになる。
すでに入院以来12日が経過
ベットには、「診療科 脳外」、「入院日 3/1」、「手術日 3/3」、「主治医 Dr.河野」、「担当医 Dr.M、Dr.N」のプレートがついている。時が経つのは本当に早く感じる。ここまでは全て順調に回復している。河野先生と東京警察病院、病室担当ナースの皆さんに感謝です。
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