2011年3月3日に「東京警察病院」にて、脳神経外科医”河野道宏先生”の聴神経腫瘍摘出手術を行って、早いもので9年が経過しました。手術をした右耳は、聴神経を切断したために聴力はありませんが、手術前と何ら変わらない生活を今も送ることができています。
河野道宏先生、本当にありがとうございます。
9年目の定期検診に、2020年11月19日「東京警察病院」の外来受診を受けに東京に行ってきました。
本来の予定であれば6月に受診するはずだったんですが、新型コロナウイルス感染症が拡大し、4月に緊急事態宣言も発出されたこともあり、11月に延期したのです。
延期したのに、、、なんと11月19日は新型コロナウイルス感染症の第3波の真っただ中となってしまいました。振り返れば6月の方が東京の感染者が少なかった結果となってしまいました。
東京出張に行くべきか、行かざるべきか・・・、悩みましたが、日帰りでササッと行き、人混みの繁華街には近づかない、三密を避けて、こまめに手指の消毒を行うことを徹底して、東京行きを決定したのです。
11月19日(木曜)安田屋家具店の定休日の午前6時30分に自宅を出て、新幹線「のぞみ」で一路東京へ出発。車内はGo To トラベルの影響なのか比較的乗客は多かったように思いました。ただ3人掛けシートも、2人掛けシートも全て1人だけが座るようになっていました。
車内ではマスクをして、使い捨てゴム手袋をして、東京まで寝ていました。
東京着は9時少々過ぎでした。
東京警察病院の受診は、11時から血液検査、12時30分からMRI、そして1時30分に主治医である河野道宏先生の受診となります。東京駅は人が多いので、すぐに中野に向かったのです。
この記事の続きを読む »
中野に着いたものの、血液検査までに2時間ほどあります。天気は快晴、気温も25度とポカポカ陽気です。そこで人込みを避け、換気の良い、東京警察病院前にある「中野四季の森公園」に行き、時間を過ごすことにしたのです。MRIまでは飲食ができないので、2時間のんびりと風景を見て過ごします。
公園周りには帝京平成大学、明治大学、早稲田大学の中野キャンパスがあります。途中、授業が終わったのか学生が大勢建物から出てきます。あぁー青春してるなぁーと、40年前の自分を懐かしく思い返しました。
途中、中野のシンボルであり、40年程前となる四代目18歳~22歳までほぼ毎日見ていた「中野サンプラザ」が解体されるとの話を聞いたので、見納めかと思い記念撮影。調べると解体問題は随分こじれているようですね。解体されて無くなってしまうと、四代目の青春が一つ消えるようで寂しい限りです。
そうこうしているうちに血液検査の時間。
9年前に初めて東京警察病院を訪れた時は正面入口というか、ここしか入口が無かったのですが、今は第二入口の感がある早稲田通り側の入り口から入ってみます。
詳しいことは言えませんが、四代目にとって思い出深い「夜間救急入口」付近に、新型コロナ感染症専用外来の仮設診療所がありました。
血液検査1時間後にMRI撮影を行います。
9年前と何も変わっていないMRI撮影室入口。
手術時の様々なことを思い出します。聴神経腫瘍が発見されてから今日まで、一体何回MRI撮影をしたのか??、20回くらい撮影したのでしょうかね。
それにしてもMRI室に流れるBGMは、9年間ずっとカーペンターズなんです。一度も音楽は変わっていないように思います。年に一度しか体験しない四代目なので正確なことはわかりませんが、毎回カーペンターズのBGMを聞き続けています。カーペンターズの音楽は何か良いのでしょか。一度聞いてみたいと思います。
MRI撮影が終わると、河野先生の受信まで2時間ほどあります。その間に本日最初の食事をします。中野駅周辺に行き、空いている立ち食いソバでも食べましょうかね。
1時30分、いつものように東京警察病院2階の脳神経外科診療室で順番まで待ちます。今日は1番目の受診が四代目のようです。
診療室に入ると1年半ぶりに河野先生と面会。
河野先生は以前と変わらずお元気のご様子でした。いつも四代目が気にしている先生の靴も変わらずピッカピカでした。尊敬します。
四打目は1年半何の問題も無く過ごしていることをお伝えしました。河野先生はMRI画像を見られて再発が無いことを確認され、まったく問題はないとお話しいただきました。よかったぁーー。
来年10年目となる定期検診の予約を入れていただき9年目の定期検診は無事に終わったのでした。さあ、岐阜に帰ろう。
おっとその前に、少し寄り道をして青春を過ごした我が母校に寄ってきますかね。還暦の四代目にあの頃の元気さを取り戻すためにね。
« 元に戻る