【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了4
2011年3月4日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術のために東京警察病院に入院していた日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。毎年何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は、現在「東京医科大学病院」にて診療を行われています。
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これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。
2011年3月4日 手術翌日
朝10時、ICU担当ナースが来た。
「これから一般病棟に行きますからね」
「その前に鼻のチューブをまず抜きますからね」と言って鼻のチューブが抜かれた。ICUから一般病棟にベットごと戻された。ICUにいた時痛かった身体左側の床ずれ部分の痛みはなくなっていた。うっ血した部分がきれいになくなったらしい。安心。
一般病棟に着くとすぐに朝食が運ばれてきた。
「全粥」だけだったがとてもおいしかった。
完食。
ベットの背もたれは約20度の角度で持ち上がっている。座椅子に寝そべっている体勢に似ている。ゆっくりと周りを見回してみる。左手に点滴がつながっていることだけが見えた。頭がふらつく。頭が重い。
この感覚は知っている。「もう二度と酒は飲まない」と思うほど泥酔した二日酔いのような感じだった。身体を動かすことも、頭の向きを変えることも怖くて、ずっと上を向いた仰向けの状態で寝ていた。かたわらに家族がいるのが見えた。ホッとした安心感か、意識がスゥーとして深い眠りについた。尿管が入ったままなのでトイレに行くこともなくそのまま眠り続けた。
しばらくして担当医とナースが来た。手術後に縫合した皮膚の下に溜まる血液を体外に流し出すための管の状態を見た。流れ出た血液の量が少ないらしい。縫合箇所から出ている管の入りが悪く、血液が出にくい状態になっているらしいことを話していた。これを改善するために管を皮膚の中に押し入れる作業をすることとなった。その話を聞いていて心底「ゾッ」とした。家族がカーテンの外に出された。
「少しチクッとしますね」の言葉に身構える。縫合部分を触っているらしいがまったく感覚が無い。管を押し込んでいるらしい。「縫い付けますね。少しチクリとするかもしれません」の言葉に再度身構える。だがやはり痛く無かった。感覚が麻痺している。その後、皮膚を手で押した。プニュ、プニュという気味悪い音がした。皮膚の下に溜まった血液を押し流し出したらしい。何の感覚も無かったが音はとても気味悪かった。この改善によって皮膚の下に溜まった血液のほとんどが流れ出て、その後あまりたまらなくなったようだ。出血が止まったらしい。
この日も河野道宏先生が病室に状態を確認しに来た。やさしく声を掛けていただいた。いったい何回見に来てくれたんだろう。素直にうれしい。
昼・夕食に「全粥」と煮魚などを食べた。身体の動きが鈍く、仰向けのまま食べた。骨のついた煮魚は食べにくく、家族に細かく切り分けてもらった。オレンジの果汁は美味だった。
昼食 夕食
この日は一日ベットの上で仰向けに寝たまま過ごした。身体も頭も動かすことを嫌い、寝返りも打たず同じ姿勢でずっと寝ていた。寝返りを打っていないようだとナースが心配していたらしい。動くと痛いかと思い固まっていただけである。
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