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聴神経腫瘍手術体験記22

【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了16

6年前の今日、2011年3月16日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術のために東京警察病院に入院していた日です。手術をしてから6年が経過しました。手術した 右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。

尚、河野道宏先生は、2017年現在「東京医科大学病院」にて診察、手術を行われています。

これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。

2011年3月16日 手術後13日目

体力はすでに入院前に回復したようだ。
昼間動かずエネルギーを使用していないので体が疲れていない。そのせいか眠れない。深夜1時~3時まで起きていた。その間、ラジオを聞くと、外界での原発トラブルがとてつもなく大変なことになっていることに心配しつつ、夢と現実を行ったり来たりしていた。

6時起床。
今日は水曜日。
定例の回診日。
河野先生に会える日が少なくなっていく。失礼がないよう普段着に着替える。

8時、聴神経腫瘍スペシャリスト軍団「河野道宏」チームが病室に来た。
順調な回復振りを伝える。
「右耳が聞こえなくなったのは残念だったね」
「いえ、覚悟はしていました。それよりもめまいもふらつきも吐き気もありません。ありがとうございます」と胸の内を伝えた。

この日は何もなかった。
日中寝てしまうと夜寝られなくなるので起きていた。
日常生活にもどるため、日中は起きていることにした。
ベットを離れ、ラウンジで過ごす。

地震以来、病院内はめっきりと薄暗くなった。廊下の照明は入院当初と比べて3分の1程度消されている。各病室内の室内灯も消されている。ラウンジの照明も半分消されている。自動販売機の照明も消された。「東日本大震災」により病院全体で節電している。個人としても照明を使わないようにした。

昼食後ベットに座っていた。12時52分、突然体がユラ~リ、ユラ~リとゆっくり左右に振れる。めまいか??  揺れる時間が長い。ユラ~リ、ユラ~リ。まだ揺れる。カーテンを見る。揺れている。めまいではない。地震だ。震度3。まぎらわしい。地震とめまい。ここ数日地震発生が多い。昨晩10時の地震はまったく知らなかった。熟睡していたらしい。日本列島が毎日揺れている。原発もとても危ない状況のようだ。忘れられない【聴神経腫瘍摘出手術】の年となった51歳の誕生日直前の一日だった。

夕食後、廊下で若い担当医2名と出会った。順調な回復振りを見て二人とも笑顔を見せてくれた。あの時の二人の笑顔は忘れられない。そして「CT撮影して問題なければ1週間で退院ですね」と言った。あと1週間と聞き、こみ上げる感情を抑えられなかった。顔が緩むのを感じた。

夕方1階コンビニに行く。パン、弁当などの食品棚には何もなかった。知らない内に外界では、物流が流れていないようだ。品物が入荷してこない。一瞬、家族のいる岐阜を心配する。

病室に戻ると明朝手術を控えた同室者が不安げにしていた。その気持ちは痛いほどわかる。つい2週間前の自分そのものをそこに見た。入院前の体調に復帰し、運動しないために体が疲れていないせいか夜眠れなくなった。今夜も深夜11時まで眠れず、その後朝までウトウトとしていた。

    

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