ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。
手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。
河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】
3月3日 夕刻未明~3月4日
パソコン画面に映った見積書を見ながら「早く見積書を書かないと、金額は、ええっと・・・」と思っていたら遠くから「すみさん、すみさん」と呼びかける声に気がついた。ふと目を向けると(実際には目を開けると)、誰かの顔が見えた。
「えっ、ここは??、ここはどこ??」
しばらくして
「あっそうか、手術終わったんだ」ということに気がついた。
「お名前は」
「生年月日はいつですか」
「今日は何日ですか」という問いかけがあり、いずれもかすかな声で答えた。
「手術終わりましたよ。これからICUに行きますからね」という声とともにベットが移動するのを感じた。着いた部屋は少し薄暗く狭い部屋であった。「手術終わったんだ」と実感していると直ぐに河野道宏先生が手術着のまま駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫ですか。手術無事終わりました」
「あなたの腫瘍は一般的なものと少し違っていました。通常は聴神経腫瘍の後ろ側に【顔面神経】があるのですが、あなたの場合は前面側にありました。こんなケースは非常にまれで、今まで500前後行った手術の中で20数名、約5%しかない大変難しい手術でした。でも大丈夫ですよ。腫瘍は全て摘出しましたからね。さらに聴神経か前庭神経か、どちらかよくわからないのですが、1本神経残ってますからね」
「はい、ありがとうございます」と小声でつぶやいた。声がかすれていた。
「助かったぁー」
「神経1本残ったんだ。あぁーすごい、河野先生の技術。信頼してよかった」
「バンザァーイ」と思っていると
「目をつぶってみて」
「口をうーんとすぼめて」
「唇をいーんと横に広げて」
「口の中で舌を動かして」と河野先生の声。
指示に従ってやってみる。全部できた。
「全部できるね。よーし大丈夫」という心強い声が狭いICU室内に響き渡った。
全部できた。心配していた顔面麻痺はないようである。心配していた目もしっかりと閉じることができた。唇も自由に動く。口の中で舌も自由に動く。おやっ? 頭の痛みが無い。切開しているのにまったく感じない。麻酔のせいか。そうだよな。痛みのことよりも顔面の動きが気になってしょうがなかった。自分自身で何回も試してみた。
「家族の方、大丈夫ですよ」ふたたび河野先生の心強い声。足元に立っている家族をチラリと見た。少し涙ぐんでいるように見えた。今の状態をデジカメに何回も撮影していた。回復したら当事の様子をゆっくりと見ようと思った。今すぐはイヤだ。
そしてここから術後最大の試練が待ち受けていることなど露知らず、ボーとしていた。
頭の左側にはテレビドラマでよく見る「ピッ、ピッ、ピッ・・」というモニター画面がチラッと見えた。心電・血圧などを測っているのだと思う。足元ではエアーマッサージ器が足首→ふくらはぎ→膝下脚全体の小気味良い正確なリズムで伸縮を繰り返しマッサージをしていた。ICU試練の中でこれが一番心地よく、試練に耐えるための唯一の心のよりどころであった。
切開された頭部の痛みは無い。頭部よりも身体の左下側が痛い。耐え切れない痛みを感じる。長時間の手術中、左側をずっと下にしていたことが原因である。うっ血して床ずれのようになっていることが容易に想像できた。しかし耐えられない。身体をひねる、うまく動かすことができない。悪戦苦闘しているとICU担当ナースがやってきた。「お名前は」「生年月日は」と質問をされた。質問に答えた後、「どこか痛いところありませんか」「左側が痛い」と伝えると状況を見てくれた。「赤くなってますね。氷で冷やしましょうね」と言い、即座に氷で身体左側を冷やしてくれた。さらに少し左側を持ち起こすために何個か枕を左側に差し込んだ。この処置で少し痛みが和らぎ楽になった。
しばらくすると河野道宏先生の技術を継承していく担当医2名が来てくれた。
「どうですか」
「大丈夫ですか」
「目を瞑ってみてください」
「唇をいーんと横に広げてみて」
顔面麻痺が出ていないかの確認である。問題ないことを確認して安堵の笑みを浮かべた。「大丈夫ですよ。がんばってください」と言ってくれた。心から「ありがとうございます」と最敬礼をした。
少し落ち着いてくると息がしにくいことに気がつく。
嘔吐を防ぐために鼻から胃まで差し込んだチューブが右鼻穴に入っているからだ。口呼吸をしていると息苦しくなってくる。鼻呼吸を行うとチューブがじゃましてうまくできない。眠くて眠りたいのに眠れない。息苦しい。一瞬、呼吸ってどうやるのかとわからなくなってしまう。息苦しくて仕方なく口呼吸をしていると喉の粘膜がくっつく。のどが痛くなる。鼻の違和感、のどの痛み、呼吸のしにくさ、身体左側の痛みとの闘いがしばらく続いた。
2~3時間ごとにICU担当ナースが見回ってくれていた。その都度、氏名や生年月日、担当医の名前、主治医の名前、今日の日付などいろいろな質問をして意識確認をしてくれた。時には計算もさせられた。「100から7を引く計算してください」「そこからまた7引いていくつ」「さらに7引いて」「はいOKです」そして「少しうがいしましょうか」といって口に水を含ませてくれた。飲むのではなく口の中でグチュグチュしてから吐き出すのだ。このうがいはありがたかった。砂漠の中で水を得た心境だった。
3時間ごとにベットの頭部をすこしづづ起こしていった。最初は5度くらいの傾斜に感じた。最終的には20度くらいの角度に起き上がったと記憶している。頭部が持ち上がると体がずり落ちていくので、時々2名のスタッフで対応して引き上げてくれた。感謝!!
夜中、手術着のままの河野先生がふたたびやって来てくれた。心強かった。
「大丈夫ですか」
「目を瞑ってみて」
「口をすぼめてみて」
「よーし、大丈夫」
「がんばってください」
河野先生の優しい声掛けが勇気百倍となった。
手術着のままということは、まだ手術行われていたんだと思った。
すごい精神力、集中力だと思った。タフだ。
喉の粘膜がくっつく違和感が続き痛い。つばを飲み込もうとしてもつばが溜まらない。鼻水を少しすすってみるがチューブがくっつき痛い。我慢してほんの少しすすって口の中に水分を溜める。口の中にほんのわずか溜まった水分をのどに流す。くっついていた喉の粘膜が流れてきた水分で離れる感じがした。そして痛みも和らいだ。少し呼吸が楽になった。何回も繰り返していくうちに鼻チューブに慣れたのか、知らないうちに鼻呼吸をしていた。そしてウトウトと浅い眠りをむさぼっていた。
しかし直ぐに意識チェックで起こされる。「今何時がわかりますか。今9時ですよ」の声が時間を聞いた唯一の時であった。ベット右側に大きな時計が置いてあったが近眼なので見えなかった。もうこの時にはすでに時間の観念が無い。どうでもよいことである。
頭の中で「時間がクスリ、時間がクスリ、あと数時間我慢するだけ」「時間がクスリ、時間がクスリ」と何回も繰り返し念じた。時には数時間前に聞いた曲を口ずさみ耐えた。ぼんやりと天井を眺めると、天井灯が二重に見える。右目、左目が見た画像がそれぞれ独立して見える。片目を閉じれば解決するが、両目で見ると左右それぞれの画像が見えるので物が二重に見える。脳で画像処理がうまくできてないのだろうか。二重に見えることは目を閉じればとりあえず解決できるし、時間の経過とともに治っていくだろうと思った。それよりもめまいや吐き気はまったく感じられないことが助かった。
しばらくしてふくよかな体型を手術着で身を包んだ布袋様のような見覚えのある顔が見えた。手術説明時に同席されていた医師だ。秋元 康氏に似ていた。マスクをした顔から見える目に笑みを浮かべておられるのが見えた。その笑顔を見て心が和らいだ。癒されるやさしい目であった。辛さも一瞬吹き飛んだ。あの笑顔は今でも脳裏に焼きついて忘れられない。うれしかった。
「大丈夫ですか」
「目を瞑ってみて」
「口をすぼめてみて」
「よーし、大丈夫」顔面麻痺が出ていないか確認して、出ていないことがわかると安心してICUを退出された。時間の観念が無くわからないが深夜であることは間違いない。こんな時間まで手術してたんだと思った。その後、徐々にICUでの辛さもほんの少しづつ和らぎ、ウトウトと浅い眠りを貪っていた。
どの位の時間がたったのだろう。もう夜は明けたのだろうか。あと何時間経過すればICUから出られるのだろうか。目が覚める度にそんなことを思った。ベット右においてある時計をチラリと見て、もう直ぐ夜が明ける時間であることがわかった。するとパタパタパタと足音。足元に目を向けると河野先生が近づいてくるのが見えた。この時間に来るのは病院に泊まったんだ。何回も気にかけていただいていることに薄っすらと涙がこぼれた。
「どうですか」
「目を瞑ってみて」
「口をすぼめてみて」
「ここの感触は左右で違いますか」
「大丈夫ですね」
「もう少しですよ。がんばってください」と河野先生。素直にがんばろうと思った。わずか2分程度の短い時間であったが心強かった。河野先生の言葉に安心したのか、眠ってしまった。
3月4日の朝を迎えたようだ。
朝10時、ICU担当ナースが来た。
「これから一般病棟に行きますからね」
「その前に鼻のチューブをまず抜きますからね」と言って鼻のチューブが抜かれた。ICUから一般病棟にベットごと戻された。ICUにいた時痛かった身体左側の床ずれ部分の痛みはなくなっていた。うっ血した部分がきれいになくなったらしい。安心。
一般病棟に着くとすぐに朝食が運ばれてきた。
「全粥」だけだったがとてもおいしかった。
完食。
ベットの背もたれは約20度の角度で持ち上がっている。座椅子に寝そべっている体勢に似ている。ゆっくりと周りを見回してみる。左手に点滴がつながっていることだけが見えた。頭がふらつく。頭が重い。
この感覚は知っている。「もう二度と酒は飲まない」と思うほど泥酔した二日酔いのような感じだった。身体を動かすことも、頭の向きを変えることも怖くて、ずっと上を向いた仰向けの状態で寝ていた。かたわらに家族がいるのが見えた。ホッとした安心感か、意識がスゥーとして深い眠りについた。尿管が入ったままなのでトイレに行くこともなくそのまま眠り続けた。
しばらくして担当医とナースが来た。手術後に縫合した皮膚の下に溜まる血液を体外に流し出すための管の状態を見た。流れ出た血液の量が少ないらしい。縫合箇所から出ている管の入りが悪く、血液が出にくい状態になっているらしいことを話していた。これを改善するために管を皮膚の中に押し入れる作業をすることとなった。その話を聞いていて心底「ゾッ」とした。家族がカーテンの外に出された。
「少しチクッとしますね」の言葉に身構える。縫合部分を触っているらしいがまったく感覚が無い。管を押し込んでいるらしい。「縫い付けますね。少しチクリとするかもしれません」の言葉に再度身構える。だがやはり痛く無かった。感覚が麻痺している。その後、皮膚を手で押した。プニュ、プニュという気味悪い音がした。皮膚の下に溜まった血液を押し流し出したらしい。何の感覚も無かったが音はとても気味悪かった。この改善によって皮膚の下に溜まった血液のほとんどが流れ出て、その後あまりたまらなくなったようだ。出血が止まったらしい。
この日も河野道宏先生が病室に状態を確認しに来た。やさしく声を掛けていただいた。いったい何回見に来てくれたんだろう。素直にうれしい。
昼・夕食に「全粥」と煮魚などを食べた。身体の動きが鈍く、仰向けのまま食べた。骨のついた煮魚は食べにくく、家族に細かく切り分けてもらった。オレンジの果汁は美味だった。
昼食 夕食
この日は一日ベットの上で仰向けに寝たまま過ごした。身体も頭も動かすことを嫌い、寝返りも打たず同じ姿勢でずっと寝ていた。寝返りを打っていないようだとナースが心配していたらしい。動くと痛いかと思い固まっていただけである。