10月1日(金)12:00〜10月4日(月)23:59までの期間中、お客様にご利用いただける5%OFFクーポンを配布いたします。
ご注文画面の「クーポンコード」欄に下記のクーポンコードを入力するだけです。
クーポンコード : fall2021
今回もネットショップ、ショッピングアプリ「BASE」のどちらでも利用できます。
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- 購入者様1人につき、1回のみの使用となります
- ネットショップでクーポンをご利用されたお客様は、ショッピングアプリ「BASE」でも同じクーポンをご利用いただくことはできません
▼クーポン概要
- 利用可能期間:2021年10月1日(金)12:00〜2021年10月4日(月)23:59
- クーポン内容:5%OFF(送料をのぞく注文金額に適用)
- クーポン対象者:クーポンコードを取得された方全員
▼注意事項
- 配布予定枚数を超えた場合、利用期限前に終了する可能性があります
- 本クーポンは、注文金額が1,000円以上のお買い物からご利用になれます
- 本クーポンは、注文金額が10万円を超えてのご利用はできません
- 本クーポンは、デジタルコンテンツ商品、定期便、抽選商品へのご利用はできません
- 本クーポンは、ネットショップおよびショッピングアプリ「BASE」を問わず、おひとり様1回限り有効です
- 本クーポンをご利用の場合、クレジットカード決済時も注文後の決済金額の変更はできません
- ショップコインをご利用の場合、本クーポンは使用できません
- Apple Payをご利用の場合、本クーポンは使用できません
- ほかのクーポンとの併用はできません
お得な5% OFFクーポンをぜひこの機会にご使用ください。
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東京オリンピック2020も始まりました。
新型コロナウイルス感染が拡大しつつある中での開催に賛否両論ありますが、世界各国のトップアスリートが競い合う光景は、どんな競技であっても興奮しますね。感染防止のため、いつもの家族3人で、ステイホームで、テレビ観戦する四代目です。
さて安田屋家具店がオンラインショップに利用しているEコマースプラットフォーム「BASE」が、5%OFFのサマークーポンヲ配布中です。8月3日(火)23時59分までご利用いただけるとってもお得な【5%OFFクーポン】です。
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- ショッピングアプリ「BASE」のみでご利用いただけます。
- パソコンからのWEB注文ではご利用いただけません
- クーポン内容/ 送料を除く注文金額が1,000円~10万円のお買い物でご利用になれます。
- おひとり様1回限りご利用いただけます。
- ほかのクーポンとは併用できません。
- Appie Payをご利用でお支払の場合は使用できません。
- 本クーポンをご利用の場合、クレジットカード決済時も注文後の決済金額の変更はできません。
クーポン適用/ 送料を除く注文金額の5%が値引きされます。
5%OFFサマークーポンご利用はとっても簡単です。
ご注文商品を選択後、クーポンコード【 0721 summer】を入力していただきますと、送料を除くお買い上げ金額の5%が値引きされるとってもお得な1週間です。お一人様1回限り有効です。
クーポンコード
0721summer
ご注文商品を選択した後、お手続きページに移動し「購入者情報の入力」の各情報を記入した後、「決済方法」を選択すると、次の項目に「クーポン」が表示されます。「クーポン」欄にあるクーポンコードに「0721summer」と入力してください。
たったこれだけの操作で、送料を除く注文金額の5%が値引きされるのです。とってもお得なのでぜひご利用ください。8月3日(火)までです。お急ぎください。
繰り返します。
クーポンコード 0721summer
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【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了14
2011年3月14日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術のために東京警察病院に入院していた日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した 右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は、現在「東京医科大学病院」にて診療を行われています。
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これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。
2011年3月14日 手術後11日目
6時30分起床
外界は4月中旬の陽気らしい。
室温、湿度とも一定の病室内ではまったくわからない。
今朝6時20分から「計画停電」を行う事態に外界がなっていたことに驚く。東北地方の大地震による災害によって、ジワリと都心の脆弱さが現れてきた。津波による原発停止により電力供給量が不足するらしい。とてつもない事態になっていた。都心の電車はあまり動いていない。各駅とも駅への入場制限をして、ホームはもとより駅周りの道路まで人が並んでいるらしい。都心の通勤・通学は大変な事態になっている。電力不足により、トヨタなどの自動車生産も生産を中止した。
10時トイレの便座に座っていると揺れた。地震だ。震度3。
午前中
10時30分、3回目のシャワータイム。
もちろん首下のみのシャワー。念入りに石鹸で身体を洗いリフレッシュ。下着も替えて心身ともにリフレッシュ。11時に1階コンビニに買出し。ここにも地震の影響が出ていた。コンビニのショーケース照明はすべて消していた。弁当などは以前とほぼ同じ程度そろっていた。ただペットボトルの水が無かった。病院1階が薄暗いことに気がついた。節電として天井灯の一部が消されていた。病室に戻り、個人でもできることと思い、病室の室内灯を消した。小さなことだが、国難を乗り切るために必要なこと。
病室に来たナースが言った
「昨日のスーパーには食べ物がほとんど売ってなくて大変だった」
「お米もお肉も無かった」
「カップ麺も無かった」
病院の外では大変なことが現実的に起きている。
携帯ラジオ、電池が品切れとなっている。つい先日まで見向きもされない山積みの商品として売っていたものが全国から消えた。
ナースの日勤・夜勤のシフトが、出勤できない人もいて大変らしい。なんとかやりくりしていることに感謝。こんな時に入院して平穏に回復にだけ努めている自分が恥ずかしい。被災した東北の人々に申し訳ない気分でいっぱいになる。地震はやってきた。見守るしかできない。
ラウンジにいると2~3日前に聴神経摘出手術を終えたばかりで、点滴の支柱を手に歩いている人、頭の圧迫包帯も取れ数日後に退院予定の人を見かけた。ここ東京警察病院には、河野道宏先生を頼って全国から老若男女が集まっている。同じ病気での検査入院、手術前、手術直後、手術1週間、2週間、退院前と様々な時点での入院患者を見る。聴神経腫瘍が10万人に1人というきわめて発症確率の低い病気ではなく、ごくどこにでもある病気だと錯覚してしまうほどだ。それほど皆、河野道宏先生を頼ってきていることがわかる。
ラウンジから見える風景
中野サンプラザの向こうには「新宿副都心」の高層ビル群が見えます。東京都庁も見えます。でもここに今建設中の大学が建つと、もう見えなくなることでしょう。残念。
午後
処方されていたステロイド錠が2錠に減った。
夕方6時50分、手術着姿の河野道宏先生が病室にやってきた。何回も診に来てくれる。今までに何回来たのだろうか。ありがたい。病室内は同じ聴神経腫瘍を摘出した者ばかり。各人の回復ぶりを確認しに来られた。それにしても手術着姿とは、先ほどまで手術をしていたのだろうか。体力的、肉体的、精神的にタフだと思った。とても真似はできない。
ラジオのイヤホンが一つ壊れているのに気がつく。部品を探すが見当たらない。ふと腫瘍を摘出した右耳を探ってみた。指先の感触で右耳に外れたイヤホンの部品があることに気づく。触るまでまったくわからなかった。完全失聴とはこういうことかとはじめて知った瞬間であった。
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【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了10
2011年3月10日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術のために東京警察病院に入院していた日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した 右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は現在「東京医科大学病院」にて診療を行われています。
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これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。
2011年3月10日 手術後7日目
5時30分起床
昨夜は一度もトイレに行かなかったことに気がつく。
回数が減った。
以前のように尿を溜めれるようになった。
朝食後直ぐに担当医が来た。
「今日、洗髪してから半分抜糸しましょう」と言った。
緊張が走った。
洗髪!! ば、ば、抜糸!!!
一時に二つもですか。急ぎすぎでは・・・・。
11時30分、いよいよその時が来た。
抜糸の時間である。
その前に洗髪が行われた。
前回と同様洗髪台の前に座りうつむく。
包帯が外された。
両拳をグッと握り締め、顔をしかめて次なる瞬間を待つ。
シャァーーーーー
心地よい温水が頭にかかる。
シャンプーをつけられ洗髪が始まった。
縫合箇所は特に念入りに洗われた。
「手術のときの消毒液が固まってますからね」
「きれいにとりますね」
「痛かったら言ってください」
「大丈夫ですか」
「はい・・・・・・」
触られている感覚はまったく無かった。
シャァーーーーー
10分程で洗髪は終わり、担当ナースの案内があるまで病室で待機。
今はとても傷口を直接見る気持ちにはなれないが、退院後にきっと見たくなるだろうと思い、抜糸前の傷口を記念撮影した。今こうして退院後に写真を見ても「ゾゾッ」としますね。かなりザックリと三日月形に切ってあります。耳側にガバッと皮膚と筋肉をめくり上げて頭蓋骨を露出させたことがよくわかります。左写真の大きな傷口の上にある小さな傷口は、ここから皮膚下の血液を流しだすための管が出ていた部分です。
(写真はクリックしても大きくならないようにしてあります)
ナースが来るまで緊張の連続。パタパタパタと足音が近づくたびにビクッとする。11時40分、診察室に向かう。診察室にはすでに担当医がいつものように待機していた。おもむろに抜糸が始まった。ハサミで「パチン」「パチン」という乾いた気味悪い音がした。そして糸が抜かれた。痛みは何も感じなかった。「はい、半分抜糸しました」で終了した。その間約2分。一瞬にして緊張が解けた。体から力が抜けるのがわかった。圧迫包帯を巻き直してから病室に戻った。
顔をぎゅっとしかめても普通にできます。
顔面麻痺は出ていないことを確かめると、笑顔になります。
5階西病棟には、このような頭に圧迫包帯を巻いた入院患者が男女問わず普通にいます。10万人に1人というきわめてまれな病気と思えない錯覚に陥ります。
昼食の「きつねうどん」はうどんが伸びないように麺と麺つゆが別々になっていて、食べる時に麺つゆをどんぶりの中に入れるようになっていた。なかなか面白い工夫で、暖かいうどんが食べられることがうれしかった。
1時30分、手術後はじめてのシャワー。
90cm四方の狭いシャワー室で30分間、首から下だけシャワーを使って身体が洗えた。さっぱりしてとても気持ちよかった。
病室に戻ると寝具が新しく取り替えられていた。下着等も新しく着替えた。手術後1週間で全てリフレッシュ。心身ともに真新しい気持ちで2週目に挑む。ここまで全て順調に回復しているようでホッとする。心から河野先生を信じてよかったと言う気持ちがフツフツと湧き上がった。
9階のコインランドリーで洗濯。
午後3時、岐阜から両親が見舞いに来た。
ラウンジで1時間談笑。
気にしていた仕事も順調に事が進んでいることを聞き、ホッとした。
家族、スタッフに感謝。
おかゆから普通のご飯に変更してもらうように看護師さんに頼んだ。夕食後、洗面所の鏡でレンタルパジャマに着替えて記念撮影。
視線が・・・・、どこ見てんだか。
この日、ベットの角度を4度に下げた。
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【実録! 聴神経腫瘍との闘い】手術当日2
2011年3月3日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術を東京警察病院で行い、手術が終わった日です。手術をしてから10年以上が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。毎年何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は、現在「東京医科大学病院」にて診療を行われています。
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3月3日
朝8時45分~夕方6時ごろまで続いた手術中、四代目自身の記憶が無いため、術後に思ったことです。
これ以降の体験内容はすべて四代目個人が自分自身の記憶として作成したものです。発症理由が不明な難病であり、年間10万人に1人という極めて低い確率で発症する「聴神経腫瘍」の手術体験は、腫瘍発症年数、大きさ、場所、状態、放射線治療の有無、年齢、生活環境などによって人それぞれに違うようです。100人いれば100通りの手術体験があるようです。術後状態は重度な人から軽度の人まで様々です。今回四代目が体験した術後は、とても難しい手術にもかかわらず、比較的軽度の症例ではないかと思っています。これもひとえに河野道宏先生のおかげと感謝しております。ちなみに入院中に東京警察病院で見かけた聴神経腫瘍摘出手術を終えた人々は、おおむね手術後1週間経過すれば、頭に圧迫包帯を巻いている以外は、ごく普通に生活・行動されていました。
手術前、インターネットによってできるだけ多くの「聴神経腫瘍手術」に関する情報を集めました。さらに手術を決めた後は、不安と恐怖が入り混じり想像もできない未知なる体験である手術後の状態、いわば手術体験談、体験記をただひたすら集めまくり、むさぼるように読み漁りました。読む情報が多くなるにつれて、不安と恐怖が忍び寄ってきました。ついには「今の状態でいいのではないか。このままでいいじゃないか。何で手術しないといけないのか。手術やめるか」という思いが出てきたのです。
手術体験記を読み込むでいくと気になる症例を目にします。顔面麻痺が残り目が閉じない。鼻から髄液がたれてきた。口に水を含むと術側の口から漏れる。うまくしゃべれない。味覚が変わった。術後4日経過して気がついた。どれもとても有意義で貴重な経験談であり、役に立ったことは言うまでもない。情報を発信された方には、自らの体験を発信したことに敬意の念と深い感謝を申し上げます。実際これらの情報がどれだけ心強かったことか。
ネット社会によってもたらされた手軽で便利な情報収集。しかし集めた膨大な情報の中から、どの情報を信じ、選択するのかは自分自身に委ねられている。重度な症例から軽度の症例。様々な情報であるが、それらを知ることはとても心強い。まったく想像できない未知なる体験に挑む者にとってはとても心強いものである。情報を持っていることがこんなに心強いことなのかを強く感じた。
振り返り四代目にとって心強かったのは「家族」であった。頼れるものは「家族」。手術に揺れ動く心境を見て後押しをしてくれたのは紛れも無い家族であった。
「大丈夫だって。痛くないって」
「手術するんでしょう}
「決めたでしょ」
「決めたのはあなた自身でしょ」
これらの言葉を受けて、沸々と勇気と力が湧き上がったのです。家族にはこの場を借りて感謝!! 感謝!!
未知なる経験、「聴神経腫瘍摘出手術」に闘いを挑むならば、情報を持っていることが重要。何も知らなければ漆黒の暗闇の中、言い知れぬ恐怖と闘わなければなりません。何が起こるかわからないことほど怖いものは無い。反面、どんな情報でも知っていれば、漆黒の暗闇の中でも手探りで何かをつかむ事ができます。知ることは想像することができることにつながります。どんな状態でも、それに近い体験談を知っていれば、その後の成り行きを何となく理解でき、想像し、耐えられる。術後の症状が軽ければそれで良し。たとえ重くても、どんな状況になるか知っていれば対処できる。知らないことが一番怖いことを今回知った。たとえどんな情報であっても。インターネットは情報を流すだけであり、洪水のように押し寄せる情報の中から何を選ぶかは・・・・、自分自身に委ねられている。そう、決めるのは「あなた」である。
——————————
不安と恐怖の【聴神経腫瘍摘出手術】に闘いを挑むなら、それを楽しもう。とてもそんな状態でないことは経験済み。ならば「手術止める ???」手術を取りやめて、不安な毎日を過ごしますか。手術を行うと決心したならば、不安と恐怖に打ち勝つために楽しもう。無理して楽しもう。そして最後は笑おう。アハハと笑おう。笑い飛ばしてしまおう。他の体験者から声かけていただいたアドバイス。【時間がクスリ、時間がクスリ】このアドバイスがどれだけ心強かったか。この言葉を信じ苦しい時間を耐えられた。私は手術前に読んだ本の中の【何ていう日だ。寝ちまえ! 寝ちまえ! 目が覚めれば別の日じゃねぇーか】が心に思い浮かびました。
夕刻未明
パソコン画面に映った見積書を見ながら「早く見積書を書かないと、金額は、ええっと・・・」と思っていたら遠くから「すみさん、すみさん」と呼びかける声に気がついた。ふと目を向けると(実際には目を開けると)、誰かの顔が見えた。
「えっ、ここは??、ここはどこ??」
しばらくして
「あっそうか、手術終わったんだ」ということに気がついた。
「お名前は」
「生年月日はいつですか」
「今日は何日ですか」という問いかけがあり、いずれもかすかな声で答えた。
「手術終わりましたよ。これからICUに行きますからね」という声とともにベットが移動するのを感じた。着いた部屋は少し薄暗く狭い部屋であった。「手術終わったんだ」と実感していると直ぐに河野道宏先生が手術着のまま駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫ですか。手術無事終わりました」
「あなたの腫瘍は一般的なものと少し違っていました。通常は聴神経腫瘍の後ろ側に【顔面神経】があるのですが、あなたの場合は前面側にありました。こんなケースは非常にまれで、今まで500前後行った手術の中で20数名、約5%しかない大変難しい手術でした。でも大丈夫ですよ。腫瘍は全て摘出しましたからね。さらに聴神経か前庭神経か、どちらかよくわからないのですが、1本神経残ってますからね」
「はい、ありがとうございます」と小声でつぶやいた。声がかすれていた。
「助かったぁー」
「神経1本残ったんだ。あぁーすごい、河野先生の技術。信頼してよかった」
「バンザァーイ」と思っていると
「目をつぶってみて」
「口をうーんとすぼめて」
「唇をいーんと横に広げて」
「口の中で舌を動かして」と河野先生の声。
指示に従ってやってみる。全部できた。
「全部できるね。よーし大丈夫」という心強い声が狭いICU室内に響き渡った。
全部できた。心配していた顔面麻痺はないようである。心配していた目もしっかりと閉じることができた。唇も自由に動く。口の中で舌も自由に動く。おやっ? 頭の痛みが無い。切開しているのにまったく感じない。麻酔のせいか。そうだよな。痛みのことよりも顔面の動きが気になってしょうがなかった。自分自身で何回も試してみた。
「家族の方、大丈夫ですよ」ふたたび河野先生の心強い声。足元に立っている家族をチラリと見た。少し涙ぐんでいるように見えた。今の状態をデジカメに何回も撮影していた。回復したら当事の様子をゆっくりと見ようと思った。今すぐはイヤだ。
そしてここから術後最大の試練が待ち受けていることなど露知らず、ボーとしていた。
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