ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。

手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】

3月7日 手術後4日目

朝7時50分、河野先生が病室に来てくれた。

その直ぐ後、早朝から採血だった。右腕の静脈に針が刺された。チクリとしたが痛みは小さかった。最近の針はあまり痛くない。

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3月 7, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。

手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】

3月6日 手術3日目

今日は特に何もなかった。
病室のベットの上で、ゆっくりと身体を休めていた。
今日から朝・昼・夕食事を記録しておこうと思った。

午後、担当医から昨日撮影したMRI画像を見せてもらった。
担当医のいる診察室に歩いていった。昨日よりもふらつかなくなったとはいえ、まだ違和感がある。200メートルをダッシュした後の頭のふらつきに似ていた。診察室のモニターには、右画面に腫瘍が写っている手術前の写真、左画面に昨日の写真があった。

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3月 6, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。

手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】

3月5日 手術後2日目

朝食です。
(この時はまだ記録として食事の写真を撮ることを考えていなかった)

 この日は朝食後、尿道に入ったままの管を抜いた。
 ナースが「息を吐いてぇー」「いち、に~の、さん」と言う合図とともにスッと抜かれた。緊張したが痛みはなかった。「排尿するときに少し痛かったり、血が出る場合があります。まだ完全に歩けないのでトイレに行くときはナースコールしてください」と言われた。しばらくしてナースコールをして一緒にトイレに行く。手術後はじめての排尿。少し緊張する。痛みは無い。血も出なかった。ただ排尿の最後にプニョプニョと空気が出た。初めての体験に驚きあわてた。だが何も問題なかった。再度ナースコールしてベットに連れて行ってもらう。ここは病室にトイレがあるので歩く距離が少なくよかった。

昼食です。

 午後、熱い蒸しタオルで身体を拭いてもらった。起き上がった時ふらつく。この感触は乗り物酔いに似ていた。手術後、初めて着替。心身ともにリフレッシュした気分であった。その後、MRI撮影のため、車椅子に乗って連れて行かれた。ふらつく。MRI室では6人掛かりで撮影台に乗せられた。

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3月 5, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。

手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】

3月3日 夕刻未明~3月4日

 パソコン画面に映った見積書を見ながら「早く見積書を書かないと、金額は、ええっと・・・」と思っていたら遠くから「すみさん、すみさん」と呼びかける声に気がついた。ふと目を向けると(実際には目を開けると)、誰かの顔が見えた。

「えっ、ここは??、ここはどこ??」
しばらくして
「あっそうか、手術終わったんだ」ということに気がついた。
「お名前は」
「生年月日はいつですか」
「今日は何日ですか」という問いかけがあり、いずれもかすかな声で答えた。

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3月 4, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

ちょうど2年前、四代目に見つかった「聴神経腫瘍」の摘出手術を東京警察病院 河野先生の執刀で行なわれたのでした。時が経つのは本当に早いもので、あれから2年が経過し、いまは手術前となんら替わらない生活に戻り、元気で仕事に取り組んでいます。手術側の右耳が失聴したので、ざわついた場所での会話や、右側から声をかけられたときには聞きずらいか、まったく聞こえない状態ですが、それ以外はふらつきやめまい、顔面麻痺もなく、普通に生活しています。聞きづらいといっても、まったく聞こえないわけでもなく、普通に手術前と同様の会話は成立していますし、人の話も聞こえていますので、なんら不自由は感じません。

手術後2年が経過したので、時系列に合わせて東京警察病院にて2011年に行なわれた四代目自身の手術体験記を再掲載しようと思います。今、聴神経腫瘍で大きな不安を抱えておられる方々の一助となれば幸いです。

河野道宏先生は、2013年4月から東京医科大学に主任教授として異動されます。そのため4月以降の手術などの詳しい情報は河野先生のホームページでご確認ください。【脳神経外科医 河野道宏先生のホームページ】

3月3日 手術当日

 手術当日の朝が明けた。
 朝6時には目が覚めていた。
とうとう、ついに聴神経腫瘍の摘出手術当日の朝を迎えました。

あと1時間30分後に手術が始まります。手術は全身麻酔なので不安よりも興味と好奇心の方が強いのですが、麻酔から目覚めた時の不安が大きいです。顔面麻痺も無く、痛みや吐き気もなく目覚めていればよいのですが。さらには河野先生の技術と全スタッフの技術のすばらしい連係によって、無事に手術が成功することを祈るばかりです。

ちなみに昨晩は、手術前日にも関わらず、河野先生に全幅の信頼をしているので、なんの不安も無く、睡眠薬も必要とせず普通にぐっすりと眠ったのでした。

 病室を出るのは午前8時35分。まだ時間はある。家族がやってきた。こわばった笑顔が印象的だった。時間まで「I podシャッフル」のイヤホンを両耳に押し込み入院前に入れた音楽を聴いた。自分を勇気付けるために選曲したのが「サザンオールスターズ」「吉田拓郎」「ウルフルズ」。サザンの「栞のテーマ」「夏をあきらめて」、吉田拓郎の「人生をまだ語らず」、ウルフルズの「それが答えだ」「笑えれば」「バンザイ~好きでよかった~」「ええねん」を何回も繰り返し聞いた。自分を鼓舞するため、つらい時に鼻歌が歌えるようにとメロディーを再確認するためであった。今から思えば「アリス」の曲も聞けばよかったと思う。病室で家族と案内を待つ間の光景は、映画ロッキーで主人公ロッキーと妻エイドリアン二人がリングに向かう前の控え室にたたずんでいるかのように思えた。情景から色が消え、モノクロ画面であった。

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3月 3, 2013 · Posted in 四代目のつぶやき  
    

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