TOPページ »聴神経腫瘍闘病記 » この記事

聴神経腫瘍手術体験記5

【実録! 聴神経腫瘍との闘い】手術当日1

6年前の今日、2011年3月3日は、四代目の聴神経腫瘍摘出手術当日です。手術をしてから6年が経過しました。手術した右耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。

尚、河野道宏先生は、2017年現在「東京医科大学病院」に主任教授として異動され、同病院にて診察、手術を行われています。

2011年3月3日

 手術当日の朝が明けた。
 朝6時には目が覚めていた。
 病室を出るのは午前8時35分。まだ時間はある。家族がやってきた。こわばった笑顔が印象的だった。時間まで「I podシャッフル」のイヤホンを両耳に押し込み入院前に入れた音楽を聴いた。自分を勇気付けるために選曲したのが「サザンオールスターズ」「吉田拓郎」「ウルフルズ」。サザンの「栞のテーマ」「夏をあきらめて」、吉田拓郎の「人生をまだ語らず」、ウルフルズの「それが答えだ」「笑えれば」「バンザイ~好きでよかった~」「ええねん」を何回も繰り返し聞いた。自分を鼓舞するため、つらい時に鼻歌が歌えるようにとメロディーを再確認するためであった。今から思えば「アリス」の曲も聞けばよかったと思う。病室で家族と案内を待つ間の光景は、映画ロッキーで主人公ロッキーと妻エイドリアン二人がリングに向かう前の控え室にたたずんでいるかのように思えた。情景から色が消え、モノクロ画面であった。

 昨日の説明で、テレビで見た手術室に向かう道程が少し違うのに戸惑っていた。イメージではストレッチ寝台に横たわり、看護婦に押され手術室に向かう。その傍らに心配顔の家族が付き添っている。手術室前に到着。家族に気丈にも作り笑顔を見せる。

「ご家族の方はここまでです」
「じゃぁ、行って来るね」
「がんばってね」
「それでは」

 感動的なこんなイメージを勝手に作り上げていた。ところが実際は歩いて手術室に行くのであった。待機している病室で薬を飲むことも無く、点滴もしない。これから行う聴神経腫瘍を除けば、身体はいたって元気そのもの。歩いて十分行けるわけだ。

 午前8時40分。
 担当の若いナースが時を告げにやってきた。
とうとうその時刻になってしまった。ほんの一瞬家族と目が合った。スローモーションのようにゆっくりと耳にはめたイヤホンを抜き捨て立ち上がった。手術室直通の専用エレベーター前まで家族と一緒に歩いて行った。緊張感はまったく無かった。昨日までの不安や恐怖感も微塵に感じられなかった。エレベーターがなかなか来ない。時間が長く感じた。エレベータの扉が開いた。そして家族と普通に別れた。まるで日常生活のように、ごく普通であった。それが妙に面白く下を向いてニヤリと口元が笑うのを感じた。

3分後、手術室到着。

 すでに多くの手術スタッフが完璧な準備を済ませ待ち構えていた。手術室を初めて見てほんの一瞬ためらいを感じた。しかしすぐ手術室への好奇心が持ち上がり、興味本位で眺めていた。数室ある手術室の一室に案内された。部屋の大きさは卓球コート程度に広く、天井が異常に高く感じた。清潔感と無機質な印象を受け、SF映画に映し出される光景にも思えた。CT撮影機などの医療機器をあちこちに置いてあるのが見えた。定かではないが、記憶では6人前後の河野チームスタッフを見た。眺め回す時間も無く直ぐに手術台に促された。1段ステップを登り手術台に乗った。肩幅程度の狭いベットだった。ベットに横たわると待ち構えていた手術スタッフが急にせわしなく動き回るのが見えた。左手甲の静脈に点滴用の針を刺されるのをじっと眺めていた。針の先には点滴液が見えた。額には四角い小さな剣山のようなものを貼り付けた。チクリと痛い。

「足に血栓を防止するためにエアーマッサージ器を付けますね」
「腕に自動的に血圧を測る血圧計付けますね」
「眠くなる薬が入ります」
「大丈夫ですか」
「手はしびれてませんか」

 とても丁寧に、そして親切に気遣ってくれていた。左手甲の静脈に薬が入りはじめしばらくすると液が注入されていき左腕がジワジワッとしびれ始め痛みを感じた。足先から膝まで包まれたエアーマッサージ器が心地よく伸縮を始めた。

「少ししびれが大きくなってますね。大丈夫ですよ」
「うーー・・・・」、しびれの痛みが強くなるのを感じつつ、ナースの言葉を最後に記憶が無くなった。手術室では、おそらく手術本番がスタートしたのであろう。担当医師が現れ、全身麻酔作業を開始し、手順よく手術が始まったのだ。記憶が無いのであくまでも想像である。

 朝8時45分~夕方6時ごろまで続いた手術中、四代目自身の記憶が無いため、術後に思ったことです。

 手術前、インターネットによってできるだけ多くの「聴神経腫瘍手術」に関する情報を集めました。さらに手術を決めた後は、不安と恐怖が入り混じり想像もできない未知なる体験である手術後の状態、いわば手術体験談、体験記をただひたすら集めまくり、むさぼるように読み漁りました。読む情報が多くなるにつれて、不安と恐怖が忍び寄ってきました。ついには「今の状態でいいのではないか。このままでいいじゃないか。何で手術しないといけないのか。手術やめるか」という思いが出てきたのです。

 手術体験記を読み込むでいくと気になる症例を目にします。顔面麻痺が残り目が閉じない。鼻から髄液がたれてきた。口に水を含むと術側の口から漏れる。うまくしゃべれない。味覚が変わった。術後4日経過して気がついた。どれもとても有意義で貴重な経験談であり、役に立ったことは言うまでもない。情報を発信された方には、自らの体験を発信したことに敬意の念と深い感謝を申し上げます。実際これらの情報がどれだけ心強かったことか。

 ネット社会によってもたらされた手軽で便利な情報収集。しかし集めた膨大な情報の中から、どの情報を信じ、選択するのかは自分自身に委ねられている。重度な症例から軽度の症例。様々な情報であるが、それらを知ることはとても心強い。まったく想像できない未知なる体験に挑む者にとってはとても心強いものである。情報を持っていることがこんなに心強いことなのかを強く感じた。

 振り返り四代目にとって心強かったのは「家族」であった。頼れるものは「家族」。手術に揺れ動く心境を見て後押しをしてくれたのは紛れも無い家族であった。

「大丈夫だって。痛くないって」
「手術するんでしょう」
「決めたでしょ」
「決めたのはあなた自身でしょ」

 これらの言葉を受けて、沸々と勇気と力が湧き上がったのです。家族にはこの場を借りて感謝!! 感謝!!

 未知なる経験、「聴神経腫瘍摘出手術」に闘いを挑むならば、情報を持っていることが重要。何も知らなければ漆黒の暗闇の中、言い知れぬ恐怖と闘わなければなりません。何が起こるかわからないことほど怖いものは無い。反面、どんな情報でも知っていれば、漆黒の暗闇の中でも手探りで何かをつかむ事ができます。知ることは想像することができることにつながります。どんな状態でも、それに近い体験談を知っていれば、その後の成り行きを何となく理解でき、想像し、耐えられる。術後の症状が軽ければそれで良し。たとえ重くても、どんな状況になるか知っていれば対処できる。知らないことが一番怖いことを今回知った。たとえどんな情報であっても。インターネットは情報を流すだけであり、洪水のように押し寄せる情報の中から何を選ぶかは・・・・、自分自身に委ねられている。そう、決めるのは「あなた」である。

——————————
 不安と恐怖の【聴神経腫瘍摘出手術】に闘いを挑むなら、それを楽しもう。とてもそんな状態でないことは経験済み。ならば「手術止める ???」手術を取りやめて、不安な毎日を過ごしますか。手術を行うと決心したならば、不安と恐怖に打ち勝つために楽しもう。無理して楽しもう。そして最後は笑おう。アハハと笑おう。笑い飛ばしてしまおう。他の体験者から声かけていただいたアドバイス。【時間がクスリ、時間がクスリ】このアドバイスがどれだけ心強かったか。この言葉を信じ苦しい時間を耐えられた。私は手術前に読んだ本の中の【何ていう日だ。寝ちまえ! 寝ちまえ! 目が覚めれば別の日じゃねぇーか】が心に思い浮かびました。

    

Comments

Leave a Reply