テレビドラマ、キムタク人気により突如ブレークした籐椅子【 ハンギングチェアー 】の物語です。

1965年の冬、ナンナ・ディツェル ( Nanna Ditzel ) さんをコペンハーゲン郊外のアトリエにお訪ねした時、初対面の変な日本人に彼女は親しくラタンのデザインについての苦労話を語ってくれました。

作品の一つを日本で作らせてもらえないかと申し出たのに対して、それではこれにサインしなさいと出されたのは、いかめしい契約書でした。さすがにデザイン先進国だなと舌を巻きながら、「恥ずかしながら私としては、今夜じっくり辞書と相談した上にさせていただきたい」と言ったら、面白そうに笑われました。

その晩、ホテルで小さな辞書をめくりながら徹夜でそれを読み、都合の悪い事を修正するのに一苦労しました。

この物語は、当時「ハンギングチェアー」製作をしていた「山川ラタン」社長のお話です。残念ながら「山川ラタン」はなくなりました。

今回ご紹介した物語は1965年のお話です。
四代目が誕生したのは1960年なので、当時5歳。
とてもコペンハーゲンには行けません。
写真は先日東京出張時にショールームにて四代目を撮影したものなので、ラタン・デザイン物語とは一切関係ありません。お間違えのないように。

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