生還しました。
生きています。
動けます。
助かったぁーーー!!! 感謝感謝!!!!
3月3日に東京 中野にある東京警察病院で行われた四代目の「聴神経腫瘍摘出手術」から生還しました。まだふらつき、右目と左目の画像がそれぞれ見えていて脳が画像処理に追いついていないようで、遠くのものが二重に見えるため本調子ではありません。ただ若干歩けるようになった3月8日、術後4日目から、岐阜聖徳学園大学経済情報学部の河野先生からお借りしたノートパソコンでネット接続を開始しました。
明日から徐々に四代目の「聴神経腫瘍摘出手術」体験記を残していきたいと考えています。
ただ入院時に文庫本の帯に「寝不足書店員続出」の文字が飛び込んでしまったためついつい買い込んで持ち込んだ【堂場瞬一】作の警察小説である刑事:鳴沢 了シリーズの「破弾」と「孤狼」の二冊の小説を読み込んでしまったため、その影響を受けてかいささか文章が小説調に鳴ってしまっていますのでご勘弁ください。いわば実録小説「四代目の聴神経腫瘍摘出手術」てな感じでしょうか。乞うご期待!!!
この記事は5年前の今日、2011年3月3日~4日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術を東京警察病院で行い、手術が終わった日です。手術をしてから5年が経過しまし た。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は、2016年現在「東京医科大学病院」に主任教授として異動され、同病院にて診察、手術を行われています。
【実録! 聴神経腫瘍との闘い】手術当日1
7年前の今日、2011年3月3日は、四代目の聴神経腫瘍摘出手術当日です。手術をしてから7年が経過しました。手術した右耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は、2018年現在「東京医科大学病院」に主任教授として異動され、同病院にて診察、手術を行われています。
2011年3月3日
手術当日の朝が明けた。
朝6時には目が覚めていた。
病室を出るのは午前8時35分。まだ時間はある。家族がやってきた。こわばった笑顔が印象的だった。時間まで「I podシャッフル」のイヤホンを両耳に押し込み入院前に入れた音楽を聴いた。自分を勇気付けるために選曲したのが「サザンオールスターズ」「吉田拓郎」「ウルフルズ」。サザンの「栞のテーマ」「夏をあきらめて」、吉田拓郎の「人生をまだ語らず」、ウルフルズの「それが答えだ」「笑えれば」「バンザイ~好きでよかった~」「ええねん」を何回も繰り返し聞いた。自分を鼓舞するため、つらい時に鼻歌が歌えるようにとメロディーを再確認するためであった。今から思えば「アリス」の曲も聞けばよかったと思う。病室で家族と案内を待つ間の光景は、映画ロッキーで主人公ロッキーと妻エイドリアン二人がリングに向かう前の控え室にたたずんでいるかのように思えた。情景から色が消え、モノクロ画面であった。
昨日の説明で、テレビで見た手術室に向かう道程が少し違うのに戸惑っていた。イメージではストレッチ寝台に横たわり、看護婦に押され手術室に向かう。その傍らに心配顔の家族が付き添っている。手術室前に到着。家族に気丈にも作り笑顔を見せる。
「ご家族の方はここまでです」
「じゃぁ、行って来るね」
「がんばってね」
「それでは」
感動的なこんなイメージを勝手に作り上げていた。ところが実際は歩いて手術室に行くのであった。待機している病室で薬を飲むことも無く、点滴もしない。これから行う聴神経腫瘍を除けば、身体はいたって元気そのもの。歩いて十分行けるわけだ。
午前8時40分。
担当の若いナースが時を告げにやってきた。
とうとうその時刻になってしまった。ほんの一瞬家族と目が合った。スローモーションのようにゆっくりと耳にはめたイヤホンを抜き捨て立ち上がった。手術室直通の専用エレベーター前まで家族と一緒に歩いて行った。緊張感はまったく無かった。昨日までの不安や恐怖感も微塵に感じられなかった。エレベーターがなかなか来ない。時間が長く感じた。エレベータの扉が開いた。そして家族と普通に別れた。まるで日常生活のように、ごく普通であった。それが妙に面白く下を向いてニヤリと口元が笑うのを感じた。
3分後、手術室到着。
すでに多くの手術スタッフが完璧な準備を済ませ待ち構えていた。手術室を初めて見てほんの一瞬ためらいを感じた。しかしすぐ手術室への好奇心が持ち上がり、興味本位で眺めていた。数室ある手術室の一室に案内された。部屋の大きさは卓球コート程度に広く、天井が異常に高く感じた。清潔感と無機質な印象を受け、SF映画に映し出される光景にも思えた。CT撮影機などの医療機器をあちこちに置いてあるのが見えた。定かではないが、記憶では6人前後の河野チームスタッフを見た。眺め回す時間も無く直ぐに手術台に促された。1段ステップを登り手術台に乗った。肩幅程度の狭いベットだった。ベットに横たわると待ち構えていた手術スタッフが急にせわしなく動き回るのが見えた。左手甲の静脈に点滴用の針を刺されるのをじっと眺めていた。針の先には点滴液が見えた。額には四角い小さな剣山のようなものを貼り付けた。チクリと痛い。
「足に血栓を防止するためにエアーマッサージ器を付けますね」
「腕に自動的に血圧を測る血圧計付けますね」
「眠くなる薬が入ります」
「大丈夫ですか」
「手はしびれてませんか」
とても丁寧に、そして親切に気遣ってくれていた。左手甲の静脈に薬が入りはじめしばらくすると液が注入されていき左腕がジワジワッとしびれ始め痛みを感じた。足先から膝まで包まれたエアーマッサージ器が心地よく伸縮を始めた。
「少ししびれが大きくなってますね。大丈夫ですよ」
「うーー・・・・」、しびれの痛みが強くなるのを感じつつ、ナースの言葉を最後に記憶が無くなった。手術室では、おそらく手術本番がスタートしたのであろう。担当医師が現れ、全身麻酔作業を開始し、手順よく手術が始まったのだ。記憶が無いのであくまでも想像である。
朝8時45分~夕方6時ごろまで続いた手術中、四代目自身の記憶が無いため、術後に思ったことです。
手術前、インターネットによってできるだけ多くの「聴神経腫瘍手術」に関する情報を集めました。さらに手術を決めた後は、不安と恐怖が入り混じり想像もできない未知なる体験である手術後の状態、いわば手術体験談、体験記をただひたすら集めまくり、むさぼるように読み漁りました。読む情報が多くなるにつれて、不安と恐怖が忍び寄ってきました。ついには「今の状態でいいのではないか。このままでいいじゃないか。何で手術しないといけないのか。手術やめるか」という思いが出てきたのです。
手術体験記を読み込むでいくと気になる症例を目にします。顔面麻痺が残り目が閉じない。鼻から髄液がたれてきた。口に水を含むと術側の口から漏れる。うまくしゃべれない。味覚が変わった。術後4日経過して気がついた。どれもとても有意義で貴重な経験談であり、役に立ったことは言うまでもない。情報を発信された方には、自らの体験を発信したことに敬意の念と深い感謝を申し上げます。実際これらの情報がどれだけ心強かったことか。
ネット社会によってもたらされた手軽で便利な情報収集。しかし集めた膨大な情報の中から、どの情報を信じ、選択するのかは自分自身に委ねられている。重度な症例から軽度の症例。様々な情報であるが、それらを知ることはとても心強い。まったく想像できない未知なる体験に挑む者にとってはとても心強いものである。情報を持っていることがこんなに心強いことなのかを強く感じた。
振り返り四代目にとって心強かったのは「家族」であった。頼れるものは「家族」。手術に揺れ動く心境を見て後押しをしてくれたのは紛れも無い家族であった。
「大丈夫だって。痛くないって」
「手術するんでしょう」
「決めたでしょ」
「決めたのはあなた自身でしょ」
これらの言葉を受けて、沸々と勇気と力が湧き上がったのです。家族にはこの場を借りて感謝!! 感謝!!
未知なる経験、「聴神経腫瘍摘出手術」に闘いを挑むならば、情報を持っていることが重要。何も知らなければ漆黒の暗闇の中、言い知れぬ恐怖と闘わなければなりません。何が起こるかわからないことほど怖いものは無い。反面、どんな情報でも知っていれば、漆黒の暗闇の中でも手探りで何かをつかむ事ができます。知ることは想像することができることにつながります。どんな状態でも、それに近い体験談を知っていれば、その後の成り行きを何となく理解でき、想像し、耐えられる。術後の症状が軽ければそれで良し。たとえ重くても、どんな状況になるか知っていれば対処できる。知らないことが一番怖いことを今回知った。たとえどんな情報であっても。インターネットは情報を流すだけであり、洪水のように押し寄せる情報の中から何を選ぶかは・・・・、自分自身に委ねられている。そう、決めるのは「あなた」である。
——————————
不安と恐怖の【聴神経腫瘍摘出手術】に闘いを挑むなら、それを楽しもう。とてもそんな状態でないことは経験済み。ならば「手術止める ???」手術を取りやめて、不安な毎日を過ごしますか。手術を行うと決心したならば、不安と恐怖に打ち勝つために楽しもう。無理して楽しもう。そして最後は笑おう。アハハと笑おう。笑い飛ばしてしまおう。他の体験者から声かけていただいたアドバイス。【時間がクスリ、時間がクスリ】このアドバイスがどれだけ心強かったか。この言葉を信じ苦しい時間を耐えられた。私は手術前に読んだ本の中の【何ていう日だ。寝ちまえ! 寝ちまえ! 目が覚めれば別の日じゃねぇーか】が心に思い浮かびました。
【実録! 聴神経腫瘍との闘い】手術当日2
7年前の今日、2011年3月3日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術を東京警察病院で行い、手術が終わった日です。手術をしてから7年が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。毎年何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は、2018年現在「東京医科大学病院」に主任教授として異動され、同病院にて診察、手術を行われています。
3月3日
朝8時45分~夕方6時ごろまで続いた手術中、四代目自身の記憶が無いため、術後に思ったことです。
これ以降の体験内容はすべて四代目個人が自分自身の記憶として作成したものです。発症理由が不明な難病であり、年間10万人に1人という極めて低い確率で発症する「聴神経腫瘍」の手術体験は、腫瘍発症年数、大きさ、場所、状態、放射線治療の有無、年齢、生活環境などによって人それぞれに違うようです。100人いれば100通りの手術体験があるようです。術後状態は重度な人から軽度の人まで様々です。今回四代目が体験した術後は、とても難しい手術にもかかわらず、比較的軽度の症例ではないかと思っています。これもひとえに河野道宏先生のおかげと感謝しております。ちなみに入院中に東京警察病院で見かけた聴神経腫瘍摘出手術を終えた人々は、おおむね手術後1週間経過すれば、頭に圧迫包帯を巻いている以外は、ごく普通に生活・行動されていました。
手術前、インターネットによってできるだけ多くの「聴神経腫瘍手術」に関する情報を集めました。さらに手術を決めた後は、不安と恐怖が入り混じり想像もできない未知なる体験である手術後の状態、いわば手術体験談、体験記をただひたすら集めまくり、むさぼるように読み漁りました。読む情報が多くなるにつれて、不安と恐怖が忍び寄ってきました。ついには「今の状態でいいのではないか。このままでいいじゃないか。何で手術しないといけないのか。手術やめるか」という思いが出てきたのです。
手術体験記を読み込むでいくと気になる症例を目にします。顔面麻痺が残り目が閉じない。鼻から髄液がたれてきた。口に水を含むと術側の口から漏れる。うまくしゃべれない。味覚が変わった。術後4日経過して気がついた。どれもとても有意義で貴重な経験談であり、役に立ったことは言うまでもない。情報を発信された方には、自らの体験を発信したことに敬意の念と深い感謝を申し上げます。実際これらの情報がどれだけ心強かったことか。
ネット社会によってもたらされた手軽で便利な情報収集。しかし集めた膨大な情報の中から、どの情報を信じ、選択するのかは自分自身に委ねられている。重度な症例から軽度の症例。様々な情報であるが、それらを知ることはとても心強い。まったく想像できない未知なる体験に挑む者にとってはとても心強いものである。情報を持っていることがこんなに心強いことなのかを強く感じた。
振り返り四代目にとって心強かったのは「家族」であった。頼れるものは「家族」。手術に揺れ動く心境を見て後押しをしてくれたのは紛れも無い家族であった。
「大丈夫だって。痛くないって」
「手術するんでしょう}
「決めたでしょ」
「決めたのはあなた自身でしょ」
これらの言葉を受けて、沸々と勇気と力が湧き上がったのです。家族にはこの場を借りて感謝!! 感謝!!
未知なる経験、「聴神経腫瘍摘出手術」に闘いを挑むならば、情報を持っていることが重要。何も知らなければ漆黒の暗闇の中、言い知れぬ恐怖と闘わなければなりません。何が起こるかわからないことほど怖いものは無い。反面、どんな情報でも知っていれば、漆黒の暗闇の中でも手探りで何かをつかむ事ができます。知ることは想像することができることにつながります。どんな状態でも、それに近い体験談を知っていれば、その後の成り行きを何となく理解でき、想像し、耐えられる。術後の症状が軽ければそれで良し。たとえ重くても、どんな状況になるか知っていれば対処できる。知らないことが一番怖いことを今回知った。たとえどんな情報であっても。インターネットは情報を流すだけであり、洪水のように押し寄せる情報の中から何を選ぶかは・・・・、自分自身に委ねられている。そう、決めるのは「あなた」である。
——————————
不安と恐怖の【聴神経腫瘍摘出手術】に闘いを挑むなら、それを楽しもう。とてもそんな状態でないことは経験済み。ならば「手術止める ???」手術を取りやめて、不安な毎日を過ごしますか。手術を行うと決心したならば、不安と恐怖に打ち勝つために楽しもう。無理して楽しもう。そして最後は笑おう。アハハと笑おう。笑い飛ばしてしまおう。他の体験者から声かけていただいたアドバイス。【時間がクスリ、時間がクスリ】このアドバイスがどれだけ心強かったか。この言葉を信じ苦しい時間を耐えられた。私は手術前に読んだ本の中の【何ていう日だ。寝ちまえ! 寝ちまえ! 目が覚めれば別の日じゃねぇーか】が心に思い浮かびました。
夕刻未明
パソコン画面に映った見積書を見ながら「早く見積書を書かないと、金額は、ええっと・・・」と思っていたら遠くから「すみさん、すみさん」と呼びかける声に気がついた。ふと目を向けると(実際には目を開けると)、誰かの顔が見えた。
「えっ、ここは??、ここはどこ??」
しばらくして
「あっそうか、手術終わったんだ」ということに気がついた。
「お名前は」
「生年月日はいつですか」
「今日は何日ですか」という問いかけがあり、いずれもかすかな声で答えた。
「手術終わりましたよ。これからICUに行きますからね」という声とともにベットが移動するのを感じた。着いた部屋は少し薄暗く狭い部屋であった。「手術終わったんだ」と実感していると直ぐに河野道宏先生が手術着のまま駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫ですか。手術無事終わりました」
「あなたの腫瘍は一般的なものと少し違っていました。通常は聴神経腫瘍の後ろ側に【顔面神経】があるのですが、あなたの場合は前面側にありました。こんなケースは非常にまれで、今まで500前後行った手術の中で20数名、約5%しかない大変難しい手術でした。でも大丈夫ですよ。腫瘍は全て摘出しましたからね。さらに聴神経か前庭神経か、どちらかよくわからないのですが、1本神経残ってますからね」
「はい、ありがとうございます」と小声でつぶやいた。声がかすれていた。
「助かったぁー」
「神経1本残ったんだ。あぁーすごい、河野先生の技術。信頼してよかった」
「バンザァーイ」と思っていると
「目をつぶってみて」
「口をうーんとすぼめて」
「唇をいーんと横に広げて」
「口の中で舌を動かして」と河野先生の声。
指示に従ってやってみる。全部できた。
「全部できるね。よーし大丈夫」という心強い声が狭いICU室内に響き渡った。
全部できた。心配していた顔面麻痺はないようである。心配していた目もしっかりと閉じることができた。唇も自由に動く。口の中で舌も自由に動く。おやっ? 頭の痛みが無い。切開しているのにまったく感じない。麻酔のせいか。そうだよな。痛みのことよりも顔面の動きが気になってしょうがなかった。自分自身で何回も試してみた。
「家族の方、大丈夫ですよ」ふたたび河野先生の心強い声。足元に立っている家族をチラリと見た。少し涙ぐんでいるように見えた。今の状態をデジカメに何回も撮影していた。回復したら当事の様子をゆっくりと見ようと思った。今すぐはイヤだ。
そしてここから術後最大の試練が待ち受けていることなど露知らず、ボーとしていた。
【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了1
7年前の今日、2011年3月3日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術を東京警察病院で行い、手術が終わった日です。手術をしてから7年が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は、2018年現在「東京医科大学病院」に主任教授として異動され、同病院にて診察、手術を行われています。
5%の男
これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。
3月3日 夕刻未明
パソコン画面に映った見積書を見ながら「早く見積書を書かないと、金額は、ええっと・・・」と思っていたら遠くから「すみさん、すみさん」と呼びかける声に気がついた。ふと目を向けると(実際には目を開けると)、誰かの顔が見えた。
「えっ、ここは??、ここはどこ??」
しばらくして
「あっそうか、手術終わったんだ」ということに気がついた。
「お名前は」
「生年月日はいつですか」
「今日は何日ですか」という問いかけがあり、いずれもかすかな声で答えた。
「手術終わりましたよ。これからICUに行きますからね」という声とともにベットが移動するのを感じた。着いた部屋は少し薄暗く狭い部屋であった。「手術終わったんだ」と実感していると直ぐに河野道宏先生が手術着のまま駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫ですか。手術無事終わりました」
「あなたの腫瘍は一般的なものと少し違っていました。通常は聴神経腫瘍の後ろ側に【顔面神経】があるのですが、あなたの場合は前面側にありました。こんなケースは非常にまれで、今まで500前後行った手術の中で20数名、約5%しかない大変難しい手術でした。でも大丈夫ですよ。腫瘍は全て摘出しましたからね。さらに聴神経か前庭神経か、どちらかよくわからないのですが、1本神経残ってますからね」
「はい、ありがとうございます」と小声でつぶやいた。声がかすれていた。
「助かったぁー」
「神経1本残ったんだ。あぁーすごい、河野先生の技術。信頼してよかった」
「バンザァーイ」と思っていると
「目をつぶってみて」
「口をうーんとすぼめて」
「唇をいーんと横に広げて」
「口の中で舌を動かして」と河野先生の声。
指示に従ってやってみる。全部できた。
「全部できるね。よーし大丈夫」という心強い声が狭いICU室内に響き渡った。
全部できた。心配していた顔面麻痺はないようである。心配していた目もしっかりと閉じることができた。唇も自由に動く。口の中で舌も自由に動く。おやっ? 頭の痛みが無い。切開しているのにまったく感じない。麻酔のせいか。そうだよな。痛みのことよりも顔面の動きが気になってしょうがなかった。自分自身で何回も試してみた。
「家族の方、大丈夫ですよ」ふたたび河野先生の心強い声。足元に立っている家族をチラリと見た。少し涙ぐんでいるように見えた。今の状態をデジカメに何回も撮影していた。回復したら当事の様子をゆっくりと見ようと思った。今すぐはイヤだ。
そしてここから術後最大の試練が待ち受けていることなど露知らず、ボーとしていた。
【実録!聴神経腫瘍との闘い】手術終了2
7年前の今日、2011年3月3日~4日は、四代目が聴神経腫瘍摘出手術を東京警察病院で行い、手術が終わった日です。手術をしてから7年が経過しました。手術した右 耳の聴神経はやむなく切断したために聴力はなくなり左耳だけでの生活を過していますが、手術前となんら変わりなく元気に仕事もできることに感謝です。あの 時の体験を自分自身に振り返るために再掲載することにしました。何回もお読みいただく皆様にはしばしお付き合いの程をお願い致します。
尚、河野道宏先生は、2018年現在「東京医科大学病院」に主任教授として異動され、同病院にて診察、手術を行われています。
これ以降の体験内容はすべて四代目自身の体験です。自分自身の記憶として作成したものです。手術後の状態は千差万別ですので必ずしも同じ状態になるとは限らないことをご理解ください。ただ聴神経腫瘍摘出手術を行う人の何かの役に立てればと思います。
2011年3月3日 夜半~4日朝
頭の左側にはテレビドラマでよく見る「ピッ、ピッ、ピッ・・」というモニター画面がチラッと見えた。心電・血圧などを測っているのだと思う。足元ではエアーマッサージ器が足首→ふくらはぎ→膝下脚全体の小気味良い正確なリズムで伸縮を繰り返しマッサージをしていた。ICU試練の中でこれが一番心地よく、試練に耐えるための唯一の心のよりどころであった。
切開された頭部の痛みは無い。頭部よりも身体の左下側が痛い。耐え切れない痛みを感じる。長時間の手術中、左側をずっと下にしていたことが原因である。うっ血して床ずれのようになっていることが容易に想像できた。しかし耐えられない。身体をひねる、うまく動かすことができない。悪戦苦闘しているとICU担当ナースがやってきた。「お名前は」「生年月日は」と質問をされた。質問に答えた後、「どこか痛いところありませんか」「左側が痛い」と伝えると状況を見てくれた。「赤くなってますね。氷で冷やしましょうね」と言い、即座に氷で身体左側を冷やしてくれた。さらに少し左側を持ち起こすために何個か枕を左側に差し込んだ。この処置で少し痛みが和らぎ楽になった。
しばらくすると河野道宏先生の技術を継承していく担当医2名が来てくれた。
「どうですか」
「大丈夫ですか」
「目を瞑ってみてください」
「唇をいーんと横に広げてみて」
顔面麻痺が出ていないかの確認である。問題ないことを確認して安堵の笑みを浮かべた。「大丈夫ですよ。がんばってください」と言ってくれた。心から「ありがとうございます」と最敬礼をした。
少し落ち着いてくると息がしにくいことに気がつく。
嘔吐を防ぐために鼻から胃まで差し込んだチューブが右鼻穴に入っているからだ。口呼吸をしていると息苦しくなってくる。鼻呼吸を行うとチューブがじゃましてうまくできない。眠くて眠りたいのに眠れない。息苦しい。一瞬、呼吸ってどうやるのかとわからなくなってしまう。息苦しくて仕方なく口呼吸をしていると喉の粘膜がくっつく。のどが痛くなる。鼻の違和感、のどの痛み、呼吸のしにくさ、身体左側の痛みとの闘いがしばらく続いた。
2~3時間ごとにICU担当ナースが見回ってくれていた。その都度、氏名や生年月日、担当医の名前、主治医の名前、今日の日付などいろいろな質問をして意識確認をしてくれた。時には計算もさせられた。「100から7を引く計算してください」「そこからまた7引いていくつ」「さらに7引いて」「はいOKです」そして「少しうがいしましょうか」といって口に水を含ませてくれた。飲むのではなく口の中でグチュグチュしてから吐き出すのだ。このうがいはありがたかった。砂漠の中で水を得た心境だった。
3時間ごとにベットの頭部をすこしづづ起こしていった。最初は5度くらいの傾斜に感じた。最終的には20度くらいの角度に起き上がったと記憶している。頭部が持ち上がると体がずり落ちていくので、時々2名のスタッフで対応して引き上げてくれた。感謝!!
夜中、手術着のままの河野先生がふたたびやって来てくれた。心強かった。
「大丈夫ですか」
「目を瞑ってみて」
「口をすぼめてみて」
「よーし、大丈夫」
「がんばってください」
河野先生の優しい声掛けが勇気百倍となった。
手術着のままということは、まだ手術行われていたんだと思った。
すごい精神力、集中力だと思った。タフだ。
喉の粘膜がくっつく違和感が続き痛い。つばを飲み込もうとしてもつばが溜まらない。鼻水を少しすすってみるがチューブがくっつき痛い。我慢してほんの少しすすって口の中に水分を溜める。口の中にほんのわずか溜まった水分をのどに流す。くっついていた喉の粘膜が流れてきた水分で離れる感じがした。そして痛みも和らいだ。少し呼吸が楽になった。何回も繰り返していくうちに鼻チューブに慣れたのか、知らないうちに鼻呼吸をしていた。そしてウトウトと浅い眠りをむさぼっていた。
しかし直ぐに意識チェックで起こされる。「今何時がわかりますか。今9時ですよ」の声が時間を聞いた唯一の時であった。ベット右側に大きな時計が置いてあったが近眼なので見えなかった。もうこの時にはすでに時間の観念が無い。どうでもよいことである。
頭の中で「時間がクスリ、時間がクスリ、あと数時間我慢するだけ」「時間がクスリ、時間がクスリ」と何回も繰り返し念じた。時には数時間前に聞いた曲を口ずさみ耐えた。ぼんやりと天井を眺めると、天井灯が二重に見える。右目、左目が見た画像がそれぞれ独立して見える。片目を閉じれば解決するが、両目で見ると左右それぞれの画像が見えるので物が二重に見える。脳で画像処理がうまくできてないのだろうか。二重に見えることは目を閉じればとりあえず解決できるし、時間の経過とともに治っていくだろうと思った。それよりもめまいや吐き気はまったく感じられないことが助かった。
しばらくしてふくよかな体型を手術着で身を包んだ布袋様のような見覚えのある顔が見えた。手術説明時に同席されていた医師だ。秋元 康氏に似ていた。マスクをした顔から見える目に笑みを浮かべておられるのが見えた。その笑顔を見て心が和らいだ。癒されるやさしい目であった。辛さも一瞬吹き飛んだ。あの笑顔は今でも脳裏に焼きついて忘れられない。うれしかった。
「大丈夫ですか」
「目を瞑ってみて」
「口をすぼめてみて」
「よーし、大丈夫」顔面麻痺が出ていないか確認して、出ていないことがわかると安心してICUを退出された。時間の観念が無くわからないが深夜であることは間違いない。こんな時間まで手術してたんだと思った。その後、徐々にICUでの辛さもほんの少しづつ和らぎ、ウトウトと浅い眠りを貪っていた。
どの位の時間がたったのだろう。もう夜は明けたのだろうか。あと何時間経過すればICUから出られるのだろうか。目が覚める度にそんなことを思った。ベット右においてある時計をチラリと見て、もう直ぐ夜が明ける時間であることがわかった。するとパタパタパタと足音。足元に目を向けると河野先生が近づいてくるのが見えた。この時間に来るのは病院に泊まったんだ。何回も気にかけていただいていることに薄っすらと涙がこぼれた。
「どうですか」
「目を瞑ってみて」
「口をすぼめてみて」
「ここの感触は左右で違いますか」
「大丈夫ですね」
「もう少しですよ。がんばってください」と河野先生。素直にがんばろうと思った。わずか2分程度の短い時間であったが心強かった。河野先生の言葉に安心したのか、眠ってしまった。・・・・・・・・・・つづく



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